夏侯淵の死後、一族はどうなったのか?

2017年1月6日


 

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夏侯淵

 

曹操(そうそう)を支える二人の夏侯氏、夏侯惇(かこうとん)

企画経営部長なら、夏侯淵(かこうえん)は、現場に出たがる営業部長という感じで

畑違いですが、いずれも、それぞれの職分に徹して魏王朝の礎になりました。

生涯を前線一筋で生きた猛将、夏侯淵は西暦219年に定軍山で

蜀の黄忠(こうちゅう)に討ち取られ無念の最期を遂げます。

では、夏侯淵亡き後、一族はどうなったのでしょうか?

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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夏侯惇の一族とは大違い、子孫も武将だらけ

自信のある夏侯覇

 

何かにつけて比較される夏侯惇と夏侯淵ですが、少なくとも、

それぞれの一族について言えば、その優秀さは夏侯淵に軍配があがります。

夏侯惇の死後、その一族が兄弟喧嘩の泥試合という醜聞以外には、

これという記録がないのに比較すると、夏侯淵の一族は、

父に似て勇猛な武将が多く、それなりに史書を飾っているからです。

 

これは夏侯淵の教育方針なのか、或いは、同世代対決では、

夏侯惇に水を空けられた夏侯淵が、「せめて子孫の時代では」と

子孫に発破をかけて頑張った結果であるのか、詳しくはわかりません。

 

夏侯淵の死後、家督を継いだ 夏侯衡

 

夏侯淵の死後、安寧亭侯の爵位と食邑は長男の夏侯衡(かこうこう)が継ぎました。

彼の妻は、曹操の弟、海陽哀侯の娘で、そこから考えると嫡男でしょう。

家を継ぐ事を第一と考えて自重していたからか、夏侯衡には、

これといったエピソードはありません。

 

西暦235年に48歳で死去し、家督は、夏侯積(かこうせき)に引き継がれます。

 

夏侯衡の後を継いだ夏侯積・・

 

夏侯積は、父から安寧亭侯の爵位を継いで、存命中に虎賁中郎将に昇ります。

しかし、情報が少なく、記録はここで終わっています。

彼の死後は、息子の夏侯褒(かこうほう)が後を継いでいます。

 

夏侯積の後を継いだ夏侯褒だが、、ここで本流は断絶・・

 

夏侯積の後を継いだのが、夏侯褒ですが、父以上に記述が少ない人です。

安寧亭侯を継いだ以外には、よくわからず、さらに子孫の記述もないので

どうやら、夏侯淵の本流は、彼の時代で絶えたか、、

あるいは、王朝交代に乗り遅れて、安寧亭侯の地位も領地も失い、

庶民になって記録から漏れたのかよく分りません。

 

夏侯淵の次男 蜀で大活躍 夏侯覇

夏侯覇

 

夏侯覇(かこうは)は夏侯淵の次男です、武芸に優れた兄弟の中でも特に、

優れた武芸を持つようなので将来を嘱望されたのでしょう。

しかし、尊敬する父、夏侯淵は西暦219年に定軍山で戦死します。

その時、弟の夏侯栄(かこうえい)も父に殉じて脱出せず戦死しています。

 

それから、蜀漢に復讐を果たすというのが夏侯覇の念願になり

西暦230年には曹真(そうしん)に従い、蜀討伐に向かいますが失敗。

ところが、運命とは不思議なモノで司馬一族が魏で権力を握り、

曹操に近い血脈を排除しだすと夏侯覇は、危険を感じて蜀に亡命するのです。

 

たまたま、劉禅(りゅうぜん)の妃が、夏侯氏の娘だった事もあり、

一族として優遇され、姜維(きょうい)と共に北伐で活躍する事になります。

 

張飛の妻は夏侯淵の姪?その秘密はここをclick↓

 

夏候夫人|張飛の妻は、夏候淵の姪だった?

桃園3兄弟の末弟、張飛(ちょうひ)は、暴れん坊のイメージがあり、 どんぐりまなこで、虎ヒゲと、美男子でもないので、男子ウケは兎も角、 女子にはもてない感じがしますが、そんな彼にも妻がいました。 &nb ...

 

夏侯覇は、以後、魏に戻る事なく蜀の地で生涯を終えます。

子孫は蜀の滅亡に遭遇しますが、元勲、夏侯淵の子孫という事で

命だけは助けられたようです。

 

虎殺しの勇猛さを持つが早死に、夏侯称

 

夏侯称(かこうしょう)は、夏侯淵の三男で、幼少時から武勇に優れ、

16歳の若さで虎を射殺する程の武勇を示していました。

しかし、病に懸り、18歳で病没しています。

もちろん、子孫もいません・・

 

時流を読むのに巧みで乱世を生き抜いた夏侯威

 

勇猛だけど単細胞のイメージがある夏侯淵の一族で、

時流を読んで、一族の繁栄を勝ち得たのが夏侯威(かこうい)です。

夏侯淵の四男の彼は、なかなか豪快な性格だったようですが、

時流を読むセンスにも優れていました。

若い頃、泰山郡で、まだ無名の羊祜(ようこ)に出会うと、その将来性を見越して、

兄の夏侯覇を説得して、覇の娘を羊祜の妻にしています。

 

さらに、羊祜の姉を自分の息子、夏侯荘(かこうそう)の妻としています。

羊祜の姉には、羊徽瑜(ようきゆ)がいて、司馬師の三度目の妻でした。

つまり、夏侯威は羊氏を通じて司馬氏の外戚へと成長していくのです。

 

彼の後には、息子の夏侯荘が、司馬氏の外戚の地位を活かして、

娘を司馬懿(しばい)の孫、司馬覲(しばきん)に嫁がせています。

彼女は、東晋皇帝、元帝司馬睿(しばえい)を産みました。

 

夏侯淵の子孫で繁栄しているのは、この夏侯威の一族だけですが

その子孫になると書ききれないので、この辺りにします。

 

父、夏侯淵と共に定軍山で死ぬ 夏侯栄

 

夏侯栄(かこうえい)は、夏侯淵の五男です。

定軍山の戦いに従軍している所を見ると、将軍としての素質を見込まれ、

経験を積ませようと思ったのでしょうか?

しかし、夏侯淵の考えは裏目に出てしまい、孝心に厚い夏侯栄は、

父が黄忠に討ち取られたと聞くと、脱出するように促す声も聞かず

敵陣に突撃して戦死してしまいました。

 

鐘毓と議論を交わす優秀な文官 夏侯恵

鍾会

 

夏侯恵(かこうけい)は夏侯淵の六男で、文才に秀で、

上奏文などもよく任された文官です。

魏の鐘会(しょうかい)の兄の鐘毓(しょういく)とライバルで、

よく激論を交わしますが、採用されるのは、夏侯恵の方が多かったと言います。

 

ただの文官ではなく、司馬懿の指揮下で諸葛亮孔明(しょかつ・りょう・こうめい)

北伐軍と度々戦い、その手柄で楽安太守になり、37歳で死去しました。

子孫については、分りません。

 

夏侯淵の末っ子は弁舌爽やか 夏侯和

 

夏侯和(かこうわ)は、夏侯淵の七男です。

才能豊かで武将としても文官としても有能な人でした。

蜀との戦いで活躍し、これらの功績などもあって、太常、相国左司馬などを歴任します。

弁舌にも優れた才能を発揮し、彼との舌戦に勝てる者ありませんでした。

だからといって、相手を傷つけて不快にさせる勝ち方ではなく、

理路整然とした語り口でそれを聞いた者は、誰もが納得し爽快な気分になったようです。

まさに禕の通り、和を大事にした人柄でした。

 

司馬炎の時代までは存命していたようですが、子孫は明らかではありません。

 

三国志ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

夏侯淵の嫡流と、その息子達に焦点を絞り、夏侯淵の没後を追いました。

夏侯惇のケースと違い、夏侯淵の一族は嫡流以外では、

それぞれの分野で活躍した事が史書から明らかです。

 

特に夏侯威が時流を読むのに巧みで、一族を司馬氏と縁組させたのが

大きかったと言えるでしょう。

もっとも、夏侯覇のように、司馬氏を拒絶した人間から見れば、

それは変節に見えたのかも知れませんが・・

 

本日も三国志の話題をご馳走様・・

 

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