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【三国志都市伝説】袁術は曹丕より先に禅譲を考えていた?

この記事の所要時間: 35




 

三国志のはちみつボーイ袁術(えんじゅつ)、彼は三国志演義のイメージに反して

当初は熱心に漢王朝を支えていましたが、曹陽(そうよう)の戦いで献帝の軍勢が

李傕(りかく)・郭汜(かくし)、張済(ちょうさい)の連合軍に撃破され

一度目の献帝死亡説が流れた頃に、漢の天下を見限り独自政権を目指すようになります。

そんな彼は完璧な皇帝即位を目指し、禅譲を目論んでいた可能性があります。

 

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袁術は、195年の11月に漢王朝を見限った・・

 

反董卓連合軍の頃には、劉虞(りゅうぐ)を皇帝に

擁立しようとする袁紹(えんしょう)と対立してまで、

献帝を押していた袁術ですが、董卓(とうたく)の死後、

李傕・郭汜が長安を乗っ取り、他の諸侯も積極的に献帝を救おうとはしない事から、

すでに天命は尽きたと思うようになっていったようです。

 

その決定的な事件が西暦195年11月の曹陽の戦いでの献帝軍の敗戦です。

李傕・郭汜、張済の連合軍に董承等は立ち打ち出来ずに多くの献帝の部下が死亡、

献帝さえ、死んだという噂が流れました。

 

それを受けた袁術は、「今度はワシの出番じゃなウヒョ」と言いだして、

皇帝即位を持ちだし、主簿の閻象(えんしょう)にあっさり拒否されています。

一度は引きさがった袁術ですが、やはり我慢できず、197年正月には、

周囲の反対を押し切り皇帝に即位しているのです。




袁術伝には、皇帝即位の経緯がバッサリ切られている

 

しかし、そうまでして即位したのに、袁術の皇帝即位の記述は殆どありません。

 

用河内 張烱之符命 遂僭號

 

河内の張烱(ちょうけい)という人物が袁術が皇帝になるという瑞兆があったと

符を持ってきて言ったので袁術はとうとう即位したとあるだけです。

袁術は後漢が滅びていないのに、皇帝を名乗るのですから、それこそ回りくどい

クドクドした様々な儀式を経て、正当性を前面に押し出したと思います。

 

それが、たったの12文字で終わっている、これでは三国志演義のような

「玉璽があるから皇帝じゃい」という残念な人物と違いがありません。

本当は禅譲を成し遂げた曹丕に負けない分量の皇帝即位までの儀式の詳細を

記した文章が残っていたのではないでしょうか?

 

一度は見限った献帝を救った理由とは?

 

そんな袁術ですが、曹操軍の曹洪(そうこう)が献帝を迎えに軍勢を差し向けてきた時に、

西暦196年、董承の要請で、部下を派遣して防いだ事があります。

一度は、見限った筈なのに、どうして献帝を救ったのでしょう?

あれだけ現金で計算高い袁術が、なんの見返りもなく、そんな事をするとは

とても思えないのです。

 

これは全くの想像ですが、袁術は董承や献帝、親戚の楊彪(ようひょう)に対して、

 

「天子には、どうか寿春に来て、疲れた体を休めてもらいたい」

 

等と言ったのではないか?などと思うのです。

 

やってきた献帝を拘束し、無理やり禅譲を行わせるつもりの袁術

 

もちろん、袁術が本気で献帝の保養をさせるわけはありません。

のこのこと献帝一行がやってきたら、これをお得意の拘束で閉じ込め

禅譲するまで開放しないという計略です。

 

袁術は、劉和(りゅうわ)、馬日磾(ばじつてい)秦宜禄(しんぎろく)等

他国からの使者を引きとめて返さないパターンで漁夫の利を得ていますから、

ただの皇帝即位ではなく献帝に禅譲させ、明確に天下が劉氏から袁氏に移った事を

天下にPRをする、トンデモナイ構想を考えていたのではないでしょうか?

 

袁術のお得意戦術を知っている董承や楊彪はそれを拒否した

 

しかし、袁術の手口を知っている董承や楊彪は、それを丁重に断ります。

当てが外れた袁術は兵を引き上げ、結局、禅譲抜きで独自王朝の建設に踏み切った。

事実は、そういう事なのではないかと思います。

 

そして、実は、袁術は禅譲の想定パターンを華歆等に研究させ文書で持っていた

こんな事が想像されてしまうのです。

 

曹丕の禅譲の元ネタは袁術の焼き直し・・

 

袁術は、100年以上も後漢王朝に仕えた袁家の人間として、

宮廷の儀式のノウハウを豊富に持っていたと考えられます。

その長年の経験から王莽(おうもう)の纂奪を越えた、もう少し温和な方法、

禅譲のプランを編み出したのではないかと推測するのです。

 

華歆(かきん)は当初、袁術に引きとめられて仕え後に呉を仲介して魏に仕えますが、

荀彧(じゅんいく)を継いで尚書令になり、曹丕(そうひ)が即位すると

司徒(しと)に上っています。

 

もしかすると、曹丕の受けた禅譲は、華歆プロデュースの袁術の皇帝即位文の完コピで

それがバレるのが格好悪いので、陳寿が、袁術伝から皇帝即位の部分の文章を

全カットしているのではないでしょうか?

 

関連記事:魏王朝から禅譲後に晋の領内で進撃の○○が出現した!?

関連記事:曹操の短歌行が後世にまで禅譲のお手本として残ってたってホント?

 

三国志ライターkawausoの独り言

 

以上、妄想に近い、袁術の禅譲プランについて書きました。

正史三国志では、皇帝即位の文章は、曹丕のそれが尋常でない程に長く

劉備(りゅうび)の即位がやや詳しく、孫権は袁術並みに素っ気ないです。

 

ここで気になるのは、孫権もまた、長く袁術を見てきた人物であるという事です。

彼も、袁術の皇帝即位マニュアルを完コピして行い、それを気にした陳寿が、

孫権の即位文を全削除したのかも知れません。

 

袁術禅譲計画、、信じるか信じないかは、あなた次第です。

 

はじめての三国志:全記事一覧はこちら

関連記事:献帝死亡説を利用した?劉備が漢中王に即位したのは孔明と法正の入れ知恵の可能性が浮上!

関連記事:孟達に全てがかかっていた!諸葛孔明の北伐は成功したかも?

 

—古代中国の暮らしぶりがよくわかる—

 




kawauso

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三度の飯の次位に歴史が大好き

10歳の頃に横山光輝「三国志」を読んで衝撃を受け
まずは中国歴史オタクになる。
以来、日本史、世界史、中東、欧州など
世界中の歴史に興味を持ち、
時代の幅も紀元前から20世紀までと広い。
最近は故郷沖縄の歴史に中毒中、、

好きな歴史人物:

西郷隆盛、勝海舟、劉邦、韓信、、etc

何か一言:

歴史は現在進行形、常に最新のジャンルです。

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