石川五右衛門か!自ら釜茹でになろうとして孫権に止められた鄧芝

2018年10月31日


 

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鄧芝

 

三国志』といえば、

蜀・呉同盟VS魏という対立構造を

思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。

 

『三国志』の中で最も大きな戦いであったとされる

赤壁の戦いもそのような対立構造を呈していましたから、

ほとんどの人がそう思っても仕方のないことです。

 

しかし、呉と蜀が

仲良く手を組んでいたかといえば決してそうでは無く、

同盟と言う笑顔の裏では常に火花をバチバチ散らせていました。

 

そしてその歪みが表面化した結果、

大変なことが起こってしまったのです。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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呉と微妙な関係になってしまった蜀

劉備にキレる孫権

 

赤壁の戦いの後、

孫権(そんけん)からまんまと荊州をもらい受けた劉備(りゅうび)一行。

 

劉備は益州を手に入れたら

荊州を返すという約束もどこ吹く風、

関羽(かんう)を置いて堂々と居座るという暴挙に出ます。

すると荊州をめぐって両者の間で争いが勃発

 

これにより呉と蜀の同盟関係は崩れてしまうかに思われましたが、

曹操(そうそう)が漢中の張魯(ちょうろ)を攻撃し始めたとの知らせが入ります。

このまま2国で争っていたら

曹操が漁夫の利を得てしまうということで

再び思惑が一致した両者は荊州を山分け。

とりあえずは仲直りします。

 

しかし、やっぱり荊州を全て返してほしかった孫権。

関羽が曹操と争っている間にちゃっかり曹操と密約を結び、

呂蒙(りょもう)陸遜(りくそん)を使って関羽をだまし討ちにしてしまいます。

 

これには劉備もブチギレ。

我を忘れた劉備の剣幕にビビった孫権は

何度も劉備に謝ったのですが

当然劉備の怒りが収まるはずもなく、

両国は夷陵の戦いへと突入していったのでした

 

 

 

頼りない劉禅を守るには…

孔明を説得する鄧芝

 

しかし、最初の方こそ勢いのあった蜀軍でしたが、

あっという間に形成を覆されて

ボロ負けしてしまいます。

このことに大きなショックを受けた劉備は

お腹を壊してポックリ逝ってしまいます

 

このため、

劉備に代わって劉禅(りゅうぜん)が皇帝となったわけですが、

これがまた頼りないのなんのって…。

 

蝶よ花よと育てられたためか、

妙におおらかでラブ&ピースな感じだった彼は

父の漢王朝復興の願いなどどうでも良かった模様。

 

これには諸葛亮(しょかつりょう)をはじめとして

多くの臣下たちが劉禅のボンクラぶりに

頭を悩まされていたわけですが、

彼らが最も恐れていたのは

このアホ息子が魏の曹丕(そうひ)

パクッと食べられてしまうことでした。

 

劉備が死んでからというもの、

暇を持て余した曹丕から諸葛亮に対して

「早く降伏しろよ(笑)」

というお手紙が送られて来ていました。

劉禅は完全にナメられていたわけですね

 

この現状を打破するためには、

冷え切ってしまっている呉との関係を

もう一度復活させるしかない…!

そう考えた諸葛亮は

呉に使者を出すことにします。

 

そしてその白羽の矢が立てられた人物こそが

鄧芝(とうし)だったというわけです

 

激動の時代を生きた先人たちから学ぶ『ビジネス三国志

ビジネス三国志  

鄧芝の弁舌に孫権も感激

鄧芝の弁舌に孫権も感激

 

劉備が益州を平定した際に配下に加わった鄧芝は、

ある日劉備に弁舌の才を見出され、

その後トントン拍子に出世を重ねて

尚書にまで上り詰めます。

 

そんな弁の立つ鄧芝に

蜀の命運が託されたわけですが、

彼は想像以上によくやってくれた様子。

 

「もう蜀なんて知らない!」

という状態だった孫権の心を得意の弁舌によって見事溶かし、

蜀と呉の同盟関係を再び締結することに成功したのです。

 

そして、鄧芝本人も孫権から滅茶苦茶気に入られ、

手紙や贈り物をやりとりする仲になったのでした

 

 

『三国志演義』ではかなり激しいパフォーマンスを披露

魁男塾4巻

(画像:魁男塾4巻)

 

巧みな言葉で孫権の心を動かしたとされる鄧芝ですが、

三国志演義』においては

度肝を抜くようなパフォーマンスによって

孫権の心を動かしたとされています。

 

まず、完全に蜀を舐め腐っていた孫権は、

使者として来た奴をビビらせてやろうと

男塾名物(おとこじゅくめいぶつ)・油風呂をご用意。

ニヤニヤしながら使者を待ちます。

 

そしてそこに鄧芝が到着したわけですが、

鄧芝はビビるどころかいきなり孫権を罵倒

思いがけない鄧芝の反応に孫権も逆ギレ!

 

すると鄧芝は孫権に道理とは何たるかをこんこんと説き、

一通り説教を終えたかと思うと

私がどのような覚悟でここに来たかをご覧に入れる!

と言って油風呂に飛び込もうとしたのでした。

 

これには孫権もビックリ。

あわてて鄧芝を引きとめて

同盟を結ぶことを宣言したのでした。

   

 

三国志ライターchopsticksの独り言

 

街亭の戦いで趙雲(ちょううん)と一緒に負けてしまったという

イメージが強い鄧芝ですが、

実はなかなかのやり手だったようですね。

 

彼がいたおかげで蜀の寿命は延び、

三国鼎立の時代が

ちょっぴり長く保たれたのかもしれません。

 

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