姜維はなぜ魏から蜀に寝返った?


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姜維と鄧艾のタイマン

 

姜維(きょうい)の北伐失敗と蜀の衰退へ』では、姜維による北伐が失敗に至る経緯について取り上げました。

姜維は元々魏にいた武将ですが、諸葛亮(しょかつりょう)の北伐によって敵の蜀に降伏し、蜀の北伐の大将となりました。

 

日本の戦国武将と同じく三国志においても敵国に鞍替えして出世した人物は多く

ざっと数えても、魏では賈詡(かく)張郃(ちょうこう)徐晃(じょこう)張遼(ちょうりょう)等、蜀では法正(ほうせい)黄権(こうけん)孟達(もうたつ)

呉では甘寧(かんねい)などが鞍替えによって出世しています。

姜維は魏に仕えていたにもかかわらず蜀では大将軍になり北伐を指揮しました。

三国志の時代の典型的な人物であると言えます。

 

今回は姜維による北伐失敗と蜀の衰退までの過程について取り上げます。

それから姜維が魏に残り続けていたら蜀はどうなったのかということを考えたいと思います。

 

はじめての三国志:全記事一覧はこちら

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姜維の北伐と魏から蜀へ

姜維の北伐と魏から蜀へ

 

『姜維の北伐失敗と蜀の衰退へ』によれば、蜀による北伐は諸葛亮によって西暦228年に始まりました。

諸葛亮はこの第一次北伐で魏に敗北します。

 

しかし、この第一次北伐の途中に姜維は魏から蜀に寝返ります

以降、姜維は北伐に従軍し、諸葛亮の下で頭角を現すようになりました。

諸葛亮が死亡してから、姜維は諸葛亮の遺志を引き継ぎ、北伐を続けました。

最初の北伐は順調に進み、徐質(じょしつ)王経(おうけい)という魏の武将を討ち取りました。

 

しかし、256年の段谷(だんこく)の戦いで魏に大敗してから、姜維による北伐の戦況は不利になりました。

戦況が不利になったため、いったん北伐を中断しましたが、262年に北伐を再開します。

北伐を再開しても魏に敗れ、姜維は蜀の政権内で完全に孤立しました

 

263年蜀の衰退を見た魏の鍾会(しょうかい)鄧艾(とうがい)が大軍で蜀に侵攻、姜維は天然の要害剣閣(けんかく)に立て籠もり抵抗しますが、

迂回(うかい)して蜀の首都を突いた鄧艾の戦略により劉禅(りゅうぜん)が降伏し姜維もやむなく剣を捨てました

 


 

姜維はなぜ魏から蜀へ寝返った?

姜維はなぜ魏から蜀へ寝返った?

 

姜維が魏から蜀へ寝返った動機について取り上げます。

最初に、姜維の家柄について取り上げます。

姜維は涼州天水郡の豪族の出身で出世が見込める家柄の家庭に生まれました。

若くして昇進できたことから、蜀に寝返る動機については当てはまりません。

 

次に、魏の武将について取り上げます。

当時の魏の武将は有能な人物が多いと言われています。

諸葛亮による北伐に対抗するために、魏は前半には曹真(そうしん)、張郃、郭淮(かくわい)等、後半には司馬懿(しばい)を送り出しています。

 

魏には有能な人材が多かったのですが、一方で蜀には有能な人材が乏しい状態でした。

姜維は蜀による北伐があったとき、偵察中の姜維は上官に内通を疑われ城から締め出され行き場を失った事でやむなく蜀に降伏しました。

 

姜維の降伏は偶発的な事故でしたが、その後、故郷に帰ろうとはしなかったので諸葛亮の下で蜀の武将として北伐に加われば

出世しやすいと考えたのかもしれません。

 

北伐の真実に迫る

北伐  


 

三国志ライターオフィス樋口の独り言

三国志ライターオフィス樋口の独り言

 

今回は姜維が魏から蜀に寝返った動機について取り上げました。

姜維は蜀に寝返り、諸葛亮の後を継いで北伐の大将軍となりました

姜維は出世することに成功しましたが、蜀は魏に降伏して終わりました。

降伏後の姜維について取り上げます。蜀は魏に降伏しましたが、

姜維は魏の鍾会を抱き込んで蜀の再興を目指します。

 

しかしその途中で計画が漏れてしまい鍾会共々殺害されました。

北伐を始めた頃から蜀と魏に国力の差がありました。

国力の面で圧倒的に強い魏に残っていると安泰だと考えがちですが、

姜維は活躍の場を求めて蜀に寝返りました。

あえて国力の面で不利な蜀に寝返ったことで、結果的に姜維は三国志の中で有名な人物になることができました。

 

もし姜維が魏に残っていたらどうなっていたのでしょうか。

魏には有能な人材が豊富であったことからほとんど出世できないと考えられます。

三国志の中で名前を残すくらいの有名な人物になることもなかったでしょう。

 

姜維が魏に残っていたら蜀との戦いはどうなったのでしょうか。

人材や国力の面で蜀と比べると圧倒的に魏が優位であったことからあっさりと降伏した可能性があります。

諸葛亮が魏の戦力を落とすために魏の有能な人材を引き抜こうとして抵抗したことも考えられます。

戦況によっては蜀の地理的な状況を活かしてゲリラ戦で魏に抵抗することも考えられます。

 

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