『三国志演義』には胸が熱くなるような、一対一の一騎打ちや、大軍同士の戦闘が行われます。しかし、戦いは必ずしも肉体的なぶつかり合いとは限りません。頭脳を用いた策略や謀略、そして論戦。
今回は、三国志演義でもっとも優れた軍師として登場する、諸葛亮が活躍した2つの舌戦を紹介したいと思います。
「三国志演義 舌戦」
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降伏派を黙らせ、呉を赤壁の戦いに引きずり込んだ「東呉舌戦」
三顧の礼を受けて、諸葛亮は劉備の軍師になりますが、曹操軍の大軍に歯が立たず、劉備軍は新野を追われて、劉表の息子の劉琦がいる江夏へと逃れていました。
しかし、そこにもすぐ曹操軍が攻め寄せてきそうな気配が。劉備軍だけでは曹操に対抗できないと判断した諸葛亮は、呉の孫権と共同戦線を張る外交策を考えます。ただ、曹操はすでに孫権に降服勧告の使者を送っていました。
100万を超え、優れた武将の多い曹操軍にはとても勝てないだろう、というあきらめムードが呉の国に満ちていました。諸葛亮は自らの弁舌でそれをひっくり返しに、
単独で呉に乗り込みます。
舌戦の最初の相手は、宿老の張昭です。「劉備殿は古代の管仲や楽毅に匹敵するというあなたを三顧の礼までして迎え入れ、魚が水を得たようだとまで言っていたのに、結局戦いに負けて逃げてばかりですね。水とは、鍋程度の量の話だったのですかね?」
「ははは。雀や燕のような小鳥には、大きな鳥の志はわからないでしょうな。我が主君は曹操軍50万に対して、立ち向かい、曹仁、李典、夏侯惇らの兵を破っています。その後負けても、20万人の民を捨てなかった。口ばかりで、手も足も出ない、そんな人たちには理解できないでしょうね」
「……」
すかさず次に虞翻が議論をぶつけます。
「曹操軍は100万にものぼると言います。それだけの大軍と戦おうというのは、何か考えがあってのことですか?」
「100万と言っても、実質は70、80万というところ。
しかも、袁紹や劉表の兵を合わせた寄せ集めですよ」
「しかし、劉備軍はその寄せ集めに敗れて江夏に逃げ込んでいるではないですか」
「確かにわが軍は数千程度でとても太刀打ちできる兵数ではありません。
それでも機会をうかがって曹操を倒そうとしている。多くの兵がいて、守りも盤石なのに、主君に降服をすすめる人とは違うのです」
ぐうの音も出ず、虞翻も引き下がります。
3人目は歩隲です。
「あなたはこの呉にやってきて、古代の蘇秦や張儀のように、舌先三寸でこの国を自分の思い通りに動かそうとしているだけなのでは?」
「蘇秦や張儀をただの弁舌だけの人だとお思いのようだが、彼らは国の大臣を務めた人たち。大軍で攻めるという曹操の宣伝に乗せられて、慌てて降伏しようとしている人が彼らのことを笑えるのでしょうか」
ばっさりです。
「曹操をどのように思いますか?」
そう尋ねたのは薛綜です。
「漢王朝にとっての逆賊です」
「そうでしょうか。すでに漢は終わったのも同然。
それならば、曹操が新しい時代を作るのは道理というもの」
「黙りなさい!漢に仕えていたはずが、衰えたと見たらすぐに取って代わろうとしている。そんな曹操が道理だというなら、あなたもこの国が弱くなったら、同じことをするのですか?」
薛綜は返す言葉もありません。
これに続いたのは陸績です。
「確かに諸葛亮殿のおっしゃるとおり、曹操の家系は代々、漢の官僚。それに比べて、劉備殿はどうか。漢の皇帝の末裔などといっているが、若いころはずいぶん貧しい生活をしていたようですな」
「家筋が良くても皇帝を意のままに操っている人間と、昔貧しい生活をしていても王朝の復活のために戦っているお方、どちらが優れているかは明白だと思いますが?」
こうして陸績も論破され、厳畯、程秉、張温、駱統も反論できずに、呉の降伏派はみんな諸葛亮の前に敗れたのでした。
諸葛亮は最後に君主の孫権もたきつけ、見事に呉を曹操との戦いに巻き込むことに成功したのでした。
北伐での王朗との舌戦
蜀の初代皇帝劉備が崩御し、魏の勢力は強まる一方。諸葛亮は取り返しがつかなくなる前に、魏を倒す決意をします。
「出師の表」という決意表明を皇帝の劉禅に伝え、いざ魏に対する北伐を開始します。順調に勝ち進む諸葛亮でしたが、
そこに魏の総帥曹真の軍師として同行していた王朗が、この戦いの正当性をテーマに舌戦を挑んできます。王朗はすでに76歳という高齢の文官でした。
「あなたが高名な諸葛亮殿か。なぜこのような大義名分のない、無益な戦いを起こしたのか」
「大義名分がないとは、何をおっしゃるか。
帝から勅命を受け、逆賊を討つための戦である」
「逆賊とは何を言う。昔から、徳のあるものが天下を治めるのが摂理というもの。すでに漢王朝の世は乱れ、黄巾の反乱やその後の戦乱で民は疲弊していた。それを曹操様が平定し、民も曹操様の徳を慕ってついてきた。権威で従わせたのではない。
今の皇帝の曹丕さまも、その人徳は聖人にも並ぶ。だから古代の例にならい、皇帝の座を譲り受けたのだ。徳のある主君に、強大な兵力があるのに、摂理に従わない方が逆賊と言えよう」
「漢に長らく仕えた王朗殿がどのようなご高説をするのかと思えば、あきれて笑えもしないが、1つ教えて差し上げよう。確かに桓帝、霊帝の代で漢王朝は衰退し、宦官がはびこり、黄巾の乱や董卓一味によってさらに国は乱れた。朝廷には獣のような者たちが官職をあさり、重職についた。王朗殿、あなたはそのとき何をしていた。本来ならば漢王朝をたすけなければならない身だというのに、むしろ逆賊に手を貸して帝位の簒奪を助けたではないか」
「無礼であろう!田舎者めが!」
「黙れ!恥知らずな老いぼれ!幸い先帝(劉備)の遺志を継いだ諸葛亮が、今こうして逆賊を討ちに来た。逆賊におもねるお前などは、どこぞで私服を肥やしていればよいだろう。漢の歴代二十四帝に合わせる顔もないだろう。もう棺桶に足を入れているようなお前が、些少な功績を求めてよく戦場に出てきたものだ。なんと恥知らずな男よ」
機関銃のように浴びせられる諸葛亮の舌鋒の前に、王朗は頭に血がのぼって昏倒し、落馬します。そのまま帰らぬ人となってしまうのでした。
三国志ライターたまっこの独り言
三国志演義の諸葛亮さんて、ちょっと人が悪いのかな、と思ってしまいます。両軍合わせて何万、何十万という兵がいる前で、なかなかあそこまで人の悪口言えないです。孔明さん怖いです……。
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