孫策と陸家との深い関係とは?陸家と孫家はその後どうなったの?

2021年3月15日


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孫策と陸家(1P目)

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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陸遜、陸家の長となる

陸遜 剣と刀

 

陸遜たちが避難したのはもともと陸家の本拠である呉県でした。陸康亡きあと、陸家の家長は陸康の子、陸積(りくせき)でしたが、まだ幼かったため年長であった陸遜が陸家を取り仕切ることになります。

 

呉の勢力を率いる孫策

 

のちに孫策は袁術の元から独立し、呉県もその傘下に入りました。しかし、その因縁からか、陸遜は孫策に仕えたことは無かったようです。一方陸家の長である陸積は孫策に仕えました。まだ年若だったため、孫策の家臣団の中では末席でしたが、孫策にも堂々と意見するなど豪胆な人物だったようです。

 

張昭

 

これには同じ「呉の四姓」の「張家」の一族である張昭(ちょうしょう)も感心したそうです。この時点でどうやら陸家と孫策の因縁も解消されたようです。

 

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孫策、非業の死を遂げる

ほっぺたに矢を受ける孫策

 

陸家の本拠呉県を含む江東地方を席巻していた孫策でしたが、その一方で多くの勢力の恨みを買う事になります。孫策はある日単騎で外出した際に滅ぼした勢力の刺客によって殺されてしまったのです。

 

郭嘉

 

曹操(そうそう)の参謀の郭嘉(かくか)は孫策について「有能だが多くの仇を持ち無警戒」と評したことが現実となってしまいました。

 

孫策の人生に一辺の悔い無し

 

孫策は弟の孫権に跡をたくし、亡くなりました。

 

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陸遜、孫権に仕える

陸遜

 

孫策には士官しなかった陸遜でしたが、地方では名声を高めていました。そして21歳のとき、孫策の弟の孫権が孫家当主となった際に仕えることになりました。

 

孫権に気に入られる孫峻

 

孫権は陸遜の事を高く評価し、孫策の娘を陸遜に嫁がせるなど関係を深めていくことになります。陸家は孫策と対立する関係でしたが、ついに親戚同士になったのです。

 

関羽を油断させる陸遜

 

後に陸遜は関羽(かんう)との戦いや、夷陵(いりょう)の戦いなど呉軍の中枢で働いていくことになります。

 

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その後の陸家と孫家

孫権に煽られて憤死する陸遜

 

その後も陸家と孫家はつながりを深めていくことになります。陸遜は晩年、孫権の後継者争いに巻き込まれ、憤死することになりましたが、一族は大いに繁栄しました。陸家からは多くの将軍や丞相(じょうしょう)を輩出し、「呉の四姓」の中ではもっとも呉の中で力を持ちました。

 

斉王になる司馬攸

 

しかし、孫家も陸家も中国を統一した「晋」の争いに巻き込まれ、のちに衰亡していくことになってしまうのです。

 

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三国志ライターみうらの独り言

みうらひろし(提供)

 

孫策と陸家はかなり深い因縁がありました。しかし、のちに親戚になるぐらいに親密になったことを考えると、因縁以上にお互いに能力的に魅力を感じる事があったのかもしれませんね。対立しても相手の事を知ることが大事だと思わせる関係性ですね。

 

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陸遜特集

 

 

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みうらひろし

歴史が好きになったきっかけはテレビの再放送で観た人形劇の三国志でした。そこから歴史、時代小説にはまり現在に至ります。日本史ももちろん好きですよ。推しの小説家は伊東潤さんと北方謙三さん。 好きな歴史人物: 呂蒙、鄧艾、長宗我部盛親 何か一言: 中国で三国志グッツを買おうとしたら「これは日本人しか買わないよ!」と(日本語で)言われたのが思い出です。

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