周旌とはどんな人?曹操をクーデターにスカウトした地元豪族

2021年4月8日


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周旌とはどんな人(1P目)

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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計画に何顒が登場しない

袁紹

 

合肥侯擁立事件が、独りよがりなクーデター計画だった証拠として、計画に何顒(かぎょう)の名前が一切登場しない点が挙げられます。

 

何顒は清流派名士の陳蕃や李膺(りよう)と親しく、党錮の禁では連座させられお尋ね者になります。やがて姓名を変えて汝南に逃亡しますが、至る所で豪傑に歓迎されて(かくま)われ、特に袁紹の敬慕(けいぼ)を受けて交友を深め奔走(ほんそう)の友の1人になっています。

また、袁紹の計画に沿い危険を顧みずに洛陽に入り、捕らわれた仲間を助けるなど高い人望を得ていました。

 

荀攸

 

その後、党錮の禁が解かれると司空(しくう)府に招聘(しょうへい)され、何進が政治を執ると、智謀の士として逢紀(ほうき)荀攸(じゅんゆう)らと共に腹心の役割を担っています。

 

朝まで三国志2017表情 kawausoさん03 怒

 

王芬や許攸、周旌が本当にクーデターを成功させたいなら、何顒にコンタクトを取るべきであり、それにより袁紹や何進のような中央の名士とのパイプを連結すべきでした。

 

袁紹に告げ口をする逢紀

 

しかし、計画に何顒の名前が出てこない所を見ると、合肥侯擁立事件は最初から、何顒や袁紹のような中央のパイプ抜きで計画された、かなり杜撰(ずさん)なものであったと考えるのが妥当だと思えるのです。

 

周旌

 

そして、この杜撰な計画に首謀者として関与していた周旌は、残念な能力の持ち主だったと判断せざるを得ず、三国志で活躍できる余地がなかったというのも、納得できてしまいます。

 

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異常気象によりクーデター失敗

西洋が好きな霊帝

 

合肥侯擁立事件は、霊帝が故郷の河間(かかん)の旧宅へ行幸するために洛陽(らくよう)を留守にする隙を狙い計画されていました。

その前段階として冀州刺史(きしゅうしし)王芬は、黒山賊を討伐したいので朝廷の兵を借りたいと霊帝に願い出て許可を受けていました。

 

進軍する兵士b(モブ用)

 

これで、霊帝が洛陽を出た後で軍勢を洛陽に進軍させ、合肥侯を新しい皇帝に据えて霊帝を廃位し勅命で宦官を皆殺しにする企みがスタートします。

 

赤い光が天を二分する異常気象が発生し行幸を中止した霊帝

 

しかし、霊帝が巡幸に出た直後、赤い光が天を東西に二分する異常気象が発生。これは不吉な兆候とされ行幸は取りやめとなり、王芬に貸し与えた兵力も戻すように命令が下りました。

 

クーデターがバレたと勘違いして自殺する王芬

 

さらに、直後に王芬に洛陽に上京するように命令が下ったので、クーデターがバレたと早合点した王芬は自殺してしまったのです。

 

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杜撰な計画唯一のメリット

霊帝の皇帝廃位のクーデターを曹操にも誘う王芬

 

その後、陳逸や許攸、襄楷、周旌が逮捕されたという記述は無く、計画は露見しなかったか露見したものの、王芬が証拠を隠滅していたので、追及が進まなかったとも考えられます。

 

kawausoさん

 

逆に考えると、内々だけで極秘裏に進めた合肥侯擁立事件は、隠滅すべき証拠も限られ、大事にならない間にひっそりと闇に葬られたとも言えますね。

 

凡人すぎた楊雍(はてな)

 

沛国の豪族周旌が、クーデター未遂後どうなったのか?知る由もありませんが、この程度のおっちょこちょいな計画に乗ってしまうあたり、群雄割拠(ぐんゆうかっきょ)の三国志の時代では名を現す事もなく、豪族のその他大勢で消えてしまったのではないかと思います。

 

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三国志ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

沛国豪族の周旌について考えてみました。

 

華歆(華キン)

 

この計画に乗ったか乗らなかったかは人物のリトマス試験紙になったようで、曹操同様に失敗を見抜いて乗らなかった華歆(かきん)華 歆は、その後魏の大尉まで昇進し、陶丘洪(とうきゅうこう)は計画に乗ろうとして華歆に諫められ断念し、地味な人物として終わっています。

 

正史三国志_書類

 

あと、王芬が担ぐ予定だった合肥侯ですが、現在に至るまで名前は不明です。しかし、曹操が擁立の資格に疑問を呈しているので、あるいは劉氏でも傍流も傍流だったのかも知れませんね。

 

参考文献:正史三国志、九州春秋、魏略

 

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合肥侯擁立事件

 

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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