野心家と言われる鍾会だけど、そのものズバリ「面白い」

2021年6月9日


 

はじめての三国志コメント機能バナー115-11_bnr1枠なし

鍾会

 

三国志末期に出てくる武将は何人もいますが、その中でも鍾会(しょうかい)は異彩を放っている人物だと思います。

 

鍾会と手を組むが後で殺す気満々の姜維

 

野心家である、だけど姜維(きょうい)に騙された、ついでにいうと「劉備(りゅうび)くらいにはなれるだろうな!」とか言っちゃった人……

 

無残な最期を遂げた姜維と鍾会

 

最後でやらかしたためにその最後にばかり注目され、失敗したことばかり取り上げられてしまいますが、鍾会は面白い人物です。

 

三国志を楽しく語るライターセン様

 

今回は稚拙ながらそんな鍾会を紹介(笑顔ポイント)しましょう。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


【誤植・誤字脱字の報告】 バナー 誤字脱字 報告 330 x 100



【レポート・論文で引用する場合の留意事項】 はじめての三国志レポート引用について



鍾会の最期が・・・

鍾繇(しょうよう)と木簡

 

さて鍾会、彼はあの魏の重臣、(しょう)ヨウの子です。

 

鍾会

 

父親が74歳という高齢になってから生まれた子ですが、幼少期は賢く、また母親が教育熱心であったためにかなり学問に通じており、論文も多数執筆していました。

 

自分を気に入る鍾会を蜀の復活に利用できると考える姜維

 

しかしこういった功績よりも、多くの人が目に付くのがその最期。姜維と組んで反乱を起こして戦死、と言う所でしょう。

 

関連記事:姜維とはどんな人?鍾会の乱を利用し蜀復興を目論んだ忠臣

関連記事:姜維が好き!現代の人たちに受け入れられることが多い姜維の魅力

 

ただの反乱ではない

陰謀野望渦巻く八王の乱では生き残れなかった司馬乂

 

しかしここで気を付けて見て欲しい所があります。当時としてはもっと後の(はちおう)の乱でのクーデター祭りにも負けず劣らず、クーデター、寝返り、反乱というのは決して少なくありませんでした。

 

自分は天才肌だと勘違いする鍾会

 

鍾会の目指す所は「成功すれば司馬昭(しばしょう)、失敗しても劉備」。そう、クーデターでも、寝返りでもなく、彼が起こしたのは魏から、というよりも魏を掌握している司馬昭からの独立なのです。

 

関連記事:司馬昭の父である司馬懿の政敵 曹爽たちはどんな政策だったの?

関連記事:司馬昭の台頭と夏侯覇の裏切りとも言える亡命、そして両方に縁ある武将羊コ

 

劉備にはなれなかった

殺害される姜維と鍾会

 

264年、鍾会は部下たちを拘束するも、結局はこの捕らえられた部下たちが蜂起してしまい、姜維と共に戦死します。

 

鍾会を捕縛し殺害する衛瓘

 

このため鍾会の歴史的な立ち位置は「反乱を起こそうとしたけれど反乱を起こす前に失敗して戦死した」というような位置になってしまいました。

 

デマを信じた兵士に鍾会・姜維が襲われ、助かる胡烈

 

結局のところは付いて来てくれる人物がおらず、反乱もやや対応が杜撰(ずさん)ということもあり、どの辺が劉備くらいになれると思ったのか……この辺は楽しい考察ポイントですね。

 

鍾会の乱

 

批判轟轟

野望が膨らむ鍾会

 

そんな鍾会、国内での評判がとてもよろしくない人物でした。友人には「器量と野心が釣り合わない」と言われ、

 

王元姫

 

王元姫(おうげんき)には「理にばかり目を向ける人ですから、大役をさせないように」と言われ

 

 

辛憲英(しんけいえい)は甥に「いつまでも人に仕えているような人ではない」と言ったとか。

 

曹爽が司馬懿に勝てないと持論する辛憲英

 

とにかく残された記録ではやたら野心家であった、ということが良く分かります。

 

関連記事:王元姫(おうげんき)とはどんな人?司馬昭の妻となる道理を重んじる女性

関連記事:「劉備くらいにはなれる」と豪語した鍾会、本当に身の程知らずの野望だったの?

 

【次のページに続きます】

 

次のページへ >

  • この記事を書いた人
  • 最新記事
セン

セン

両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

-鍾会
-,