黄皓について書こうとすると「孝行」と出てきてしまい「お前が一体何の孝行をしたというのだ」と度々義憤にかられる筆者ですおはこんばんにちは。
さて悪臣の見本のように描かれる黄皓、何が腹立つって最後はしっかり逃げおおせている所。だけどそんな黄皓ですが決して無能ではなかったところがまた……腹だたしい。
そんなわけで今回は黄皓のお話です。
この記事の目次
正史の黄皓
黄皓は正史に置いて、諸葛亮死後から台頭する人物です。彼は宦官であり、劉禅の……分かりやすく言うと秘書みたいな立ち位置でした。
劉禅に寵愛されたことで黄皓は蜀において専横をすることとなり、特に北伐を繰り返した姜維にとっては「内側の敵」であったとも言えます。
後に蜀が落ちた際には黄皓は敵兵に捕らわれそうになった時に財宝をばらまいて逃げおおせてしまい、それ以後はどうなったかは分かっていません。
演義の黄皓
もはや蜀の敵の一人と言っても良い扱いをされているのが三国志演義の黄皓。賄賂を受け取り私腹を肥やす、魏に内通する、ヤバいのを更にヤバくなるまで放置、巫女のコスプレ(※していません)などなど出るわ出るわのオンパレード。
しかし最期は財宝をばらまいて逃亡しようとしたところを司馬昭がとっ捕まえてみじん切りに(そこまで細かくない)されて終了という、正史の恨みを演義で返したかのような終幕となっています。
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黄皓は絶対悪か?
さてここで振り返りたいのが「黄皓は絶対的な悪であるか」ということ。ここに対する意見は三国志の沼でもかなり論争が交わされる所でありましょう。
黄皓は専横を行っていた、北伐を繰り返す姜維に対して排斥を目論んだ、多くの人物を左遷に追い込んだ……等、確かに黄皓は正義と呼べる側の人物ではないでしょう。しかし、絶対的な悪だとも言い切れません。
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陳寿との対立
というのも、まず陳寿先生の立場。三国志の正史を書いた陳寿は、この黄皓と対立し、その結果として左遷された一人なのです。
陳寿は正史に置いてできるだけ私情を省き、記録と結果、出来事をあくまで淡白にまとめてはいますが、それでも一切の私情、もしくは私怨を含むことはなかった……とは言い切れません。
なので黄皓のやったことについて、特に悪い面を書いている部分が多いのではないかとも言われています。
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