魏には人材発掘ハンターと名高い曹操が集めた稀代の武将たちが数多くいます。
その中でもひと際輝いてしまうのは、やはり合肥での獅子奮迅の働きが覚えめでたい張遼でしょうか。
三国志演義でもその活躍は描写され、それでもまだまだ過小評価をされているという凄まじさ。
しかしここで敢えて、そんな張遼に勝るとも劣らない獅子奮迅の活躍をした武将、曹仁について今回はお話しましょう。
この記事の目次
曹子孝
曹操とは従兄弟関係にあり、彼も曹魏の一族の一人です。その関係は黄巾賊討伐に曹操が旗揚げした際に、曹仁は1000人ほどの手勢を連れて配下に加わったことから始まります。なので曹魏の中でも、最古参と言って良い人物でしょう。
そんな曹仁も若い頃は曹操関係者の中の例にもれず、少々やんちゃをしていたというエピソード持ちですが、各地を奔走して曹魏のために尽くして働いた若者は厳格、かつ人望に富んだ名将へと成長します。223年に没、忠侯と諡されたことはしっかりと覚えておきたいことです。
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数多くの戦功を挙げる曹仁
繰り返しますが最古参の一人である曹仁は、数多くの戦功を挙げています。その活躍は袁術、呂布討伐、徐州へ侵攻と言い出したら切りがなくまた官渡の戦いでも袁紹軍の輸送部隊を撃破するなどの活躍をしていますね。三国志演義では触れられにくい部分でもありますが、この頃の曹仁は正に勇猛果敢、並み居る敵兵をバッタバッタとなぎ倒す、正に猛将でありました。
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ひと際輝く曹仁の活躍
そんな曹仁の功績の中でも、注目されるのは江陵、そして樊城での戦いでしょう。それは曹仁がこの二つで戦った相手が、当時、魏として最大の相手とも言える存在だからです。
江陵の戦いでは周瑜。そして樊城での戦いでは関羽。名前だけでも分かるこの相手の凄さ、そして曹仁は彼ら二人から魏を守りきった正に名将なのです。
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江陵の戦いと曹仁
さてまずは江陵の戦いのお話を簡単に。江陵の戦いの前のこと、魏は赤壁の戦いで手痛いダメージを受けていました。その勢いのままに曹仁が守る江陵に、周瑜が数万の兵が攻め寄せます。
そこで曹仁、呉の先鋒6000の兵に、部下である牛金に300の兵士を率いて攻撃させるという無茶ぶります。しかし何と言うことでしょう!牛金の軍は当然ながら呉軍に包囲され、全滅しそうになってしまいます!
ここで曹仁は僅か10ほどの精鋭を連れて出撃、見事牛金を救い出しました。部下を守るために大軍に果敢に突撃、見事救い出した曹仁は正に名将!その姿を部下は「正しく天上のお方!」と感嘆しました。(そもそも曹仁が牛金に突撃させなければ、とは言ってはいけません)
江陵自体はこの後、奪われてしまいますが、それでも周瑜に重傷を負わせたこともあり、その活躍を曹操は高く評価したといいます。。
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