楽乗は燕国の名将、楽毅の子、楽間の一族です。楽毅が田単の策謀で燕を追われ趙に亡命した事で子孫は趙と燕で活躍する事になりました。趙としては棚ボタだった楽一族ですが、キングダムでバカ王として有名な悼襄王のせいで、廉頗と争う事になり国外に逃亡。
趙は楽毅の遺産を取り逃がしてしまう事になります。
この記事の目次
廉頗と共に閼与救援に反対
楽乗の名前が最初に登場するのは、紀元前270年、趙は名君の恵文王の時代でした。秦は公孫胡傷に命じて趙の領地である閼与を征服しようとします。
閼与は救援を求めますが廉頗と楽乗は、閼与までの道のりが険しい事を理由に救援を見送る事を進言しました。しかし、ここで名将趙奢が、「道が険しいからこそ、狭い穴の中で二匹のネズミが戦うようなもので兵力に関係なく勇敢な方が勝ちます」と恵文王を説得。
自らが軍を率いて公孫胡傷を破り、閼与を救援しました。この時は廉頗と楽乗の見通しが間違っていた事になります。
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慶舎と共に信梁軍を撃破
次に楽乗の名前が登場するのは、紀元前256年で、すでに趙王はなかなかのバカ王孝成王に代わっていました。ここで楽乗は将軍慶舎と共に、秦の信梁軍を迎え撃ち撃破した事が記録されています。秦の信梁軍については正体が不明ですが、王齕、あるいは楊摎とも考えられます。
この頃は長平の戦いで趙が激しく損耗、秦に何度も邯鄲を包囲された時期であり、楽乗は厳しい状態でよく奮闘していたと言えるでしょう。
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5万の軍勢で卿秦の20万を破る
紀元前251年、秦にやられ放題の趙を見て、燕王喜に仕えていた宰相粟腹が今こそ趙を攻めるチャンスだと進言します。燕王喜は乗り気になりますが、楽毅の子孫で燕国に残った楽間が、趙は兵士も人民も長年の戦争で戦いに慣れているので侮れないと反対しました。
しかし、喜は聴かずに粟腹を総大将に趙を攻めますが、百戦錬磨の廉頗が迎撃。粟腹は大敗した上に討死します。
勢いに乗った廉頗は逆に、燕の王都である薊を包囲しました。楽乗も従軍し、燕の総大将卿秦の20万の大軍を5万人の兵力で撃破します。これが決定打になり、万事休止となった燕王喜は趙に領地を割いて与え和睦しました。また、この時、喜を諫めて容れられなかった楽間が趙に亡命しています。
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悼襄王により廉頗と交代させられる
紀元前250年、楽乗は武襄君に封じられ、翌年には仮宰相に任じられて再び攻めて来た燕を攻撃し薊を包囲します。
しかし、その後、楽乗は政変に巻き込まれる事になりました。紀元前245年にバカ王の孝成王が死去し、息子のバカ王、悼襄王が即位します。この悼襄王は王太子時代から廉頗と仲が悪く、これを遠ざけようとし魏の繁陽を攻略中の廉頗を更迭して楽乗を代わりの指揮官にしたのです。
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廉頗に撃破され逃亡
ところがこれを聴いて廉頗は激怒し、奇想天外な事をしました。交代でやってきた楽乗の軍勢に攻撃を仕掛けて撃破してしまったのです。史記の登場人物多しといえど更迭の腹いせに味方を撃破し、国にいられなくなり、亡命してしまう将軍は廉頗以外に聴いたことがありません。
廉頗に破られて軍勢を失い、面目を潰してしまった楽乗は、燕に戻る事も出来ずそのまま魏に逃亡しました。楽乗を撃破した廉頗も自軍を撃破したので、当然趙にはいられなくなりこちらも魏に亡命したそうですから、もう何が何やら分かりません。それ以来、楽乗の消息は途絶えてしまいました。
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異説
楽乗の経歴については、史記趙世家と史記楽毅列伝で異なります。楽毅列伝では、楽乗は燕に留まり、粟腹が趙を攻めて廉頗に撃破され、廉頗が薊を包囲した後で一族の楽間と共に趙に降伏したとあります。
もしこれが正しいとすると、廉頗から見れば捕虜にして助命した楽乗が救ってもらった恩義も忘れ、悼襄王の命令でのこのこと自分の後任としてやってきたのですから、憎さ百倍になったのは無理からぬことでしょう。
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悼襄王のバカぶりが際立つ
廉頗も廉頗ですが、そもそもの原因は廉頗が嫌いというそれだけの事で更迭しようとした悼襄王でしょう。この人さえもう少ししっかりしていれば、廉頗も楽乗も趙から逃亡する必要が無かったのです。趙は孝成王、悼襄王、幽繆王と暗愚な王が続き、李牧や司馬尚の奮戦も空しく滅んでしまった残念な国でした。
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キングダム(春秋戦国時代)ライターkawausoの独り言
楽毅は燕を追われた後も燕でも趙でも優遇され、相互を往来した末に最期は趙で病死しました。その経緯から楽毅の一族は燕にも趙にも残される事になりました。
楽乗は廉頗ほどではないにせよ、なかなかに優秀な将軍でしたが、どんな名将もバカ王には敵わぬもので、最期は廉頗に撃破され魏に亡命して消息が絶えてしまったのは、仕える主君と同僚に恵まれなかったなというしかありません。
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