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呂布の命乞い、実らず
曹操は呂布に疑惑の目を向けます。もしかして一瞬、呂布の武力を利用しようか、と思ったのかも知れません。
しかし、その迷いを吹っ切ったのが劉備の一言でした。「呂布が丁原、董卓を裏切ったことを忘れたのですか?」と発破をかけます。すると呂布は「この大耳野郎(劉備)が一番信用できないのだ!」と、劉備を罵りますが、曹操は呂布の処刑を決断します。
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小説「三国志演義」での呂布
小説の「三国志演義」では呂布の豪傑さが強調され、特に劉備、関羽、張飛と戦った「虎牢関の戦い」が特に印象深いですね。ここで赤兎馬にまたがり、戟を振るうさまは実に格好が良いです。
しかし、最後に命乞いするのは同じで、劉備を罵った後、当時呂布に仕え、処刑されようとしていた「張遼」に「この匹夫(いやしい男)め!死を恐れるのか!」と罵られてしまいます。
この度胸が曹操に気に入られたのか、張遼は曹操に仕えることになりますが、呂布はあえなく処刑されてしまいます。
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三国志ライターみうらの独り言
史実でもフィクションでも結局、呂布は命乞いをしたようですね。もし、この命乞いを曹操が受け入れ、呂布が曹操の配下になったのなら、曹操軍はさらに強力になったのでしょうか?
それとも呂布が裏切り、世の中が混乱したのでしょうか?
そんな妄想も面白いかもしれませんね。ここからは私の想像ですが、呂布は曹操軍の一員になるものの、袁紹軍の脅威が迫ったときにそちら側に裏切るのではないでしょうか。なにしろ当時は袁紹軍の方が強大と言われていましたから。
そして「官渡の戦い」にて曹操軍に所属していた関羽と一騎討ち!
そして呂布敗れる、そんな妄想をしてみました。
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