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この記事の目次
ヒドイ手紙を読んで曹真憤死
曹真は諸葛亮からの手紙をみて驚きました。
その内容は
「学もない若輩者め」
「先の戦でのお前は無様だった!」
「戦わないで逃げるとはたいした臆病者だな!」
「どの面下げて中原に帰るのか?」
などと、曹真への罵詈雑言にあふれたものでした。
これを読んだ曹真は怒りのあまり、そのまま死んでしまったのです。これが中国史でよく見る「憤死」というものですね。
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正史での曹真
小説「三国志演義」では手柄をすべて司馬懿にとられ、酷い手紙を送られた曹真でしたが、正史「三国志」では優秀な武将です。彼は幼くして父を亡くし、曹操によって息子同然に育てられました。そしてその武勇を認められ、曹操の騎馬親衛隊「虎豹騎」の指揮を任されるようになります。
そこで様々な戦いにおいて功績を挙げ、魏軍で重きをなすようになっていきます。
かれは曹丕とも兄弟同然に育てられたため、曹丕が皇帝に即位してからも信頼され、息子の曹叡の補佐も頼まれています。
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曹真の死
曹真は蜀の征伐を進言し、その責任者として蜀征伐に司馬懿と共に赴きます。しかし、長雨が続き、撤退を余儀なくされてしまいます。
小説「三国志演義」では諸葛亮による追撃を受け、曹真は怪我をしてしまいますが、正史では両軍による戦闘は行われていません。曹真は続く諸葛亮の北伐への対応の途中に病に倒れ、洛陽に帰ることになります。皇帝曹叡も彼を心配し、見舞うなどしましたが、残念ながら亡くなってしまいます。
手紙云々は「三国志演義」の創作ですね。彼は戦利品を部下に分け与えるなどとても親しまれていた人柄だったそうですよ。
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三国志ライターみうらの独り言
蜀の正義を盛り上げるためとはいえ、曹真への手紙はちょっと非道ですね。諸葛亮の好感度が下がるだけだと思うのですが、「三国志演義」発行当時の読者はどう思っていたのでしょうか?
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