皆様、筆者のぐだぐだ八王の乱はお楽しみ頂けましたでしょうか。歴史を後から見てああだこうだというのは野暮かとも思いますが、それが楽しいのでご理解頂きたい!
という訳で今回、ちょっと突っ込みたいのは八王の乱のある所。
「ここ、ちょっとおかしくない?」そんな部分にちょいと野暮なツッコミを入れていきたいので、お付き合い下されば幸いです。
この記事の目次
八王の乱ざっくり解説
さて八王の乱について詳しい説明は各八王の乱メンバーの記事で述べてますので、ざっくり過ぎる八王の乱のおさらいを。
八王の乱とは司馬の八王、王に封じられたメンバーが内乱に内乱を重ねて争い、争いを重ねて国が疲弊し、ズタボロになっていく中でどんどん八王たちが脱落、最終的に生き残った司馬越が八王の乱の勝利者、という所で集結します。
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賈南風台風が晋をぐちゃぐちゃに
そんな八王の乱でひと際目立った存在、それが賈南風です。賈南風は賈充の娘で、恵帝の妻、つまり皇后ですが、とにかく悪妻であることばかり有名なお嬢さん。
事の始まりは司馬炎の遺言を楊駿が偽造し、一族で専横を企みました。これに憤ったのが賈南風、彼女は司馬亮に楊一族誅殺を持ちかけるも断られ、司馬イに持ちかけて宮中クーデターを起こさせ、楊一族とついでに文鴦らが殺害されました。
ここだけ見るとある一族の宮中専横を何とか取り除いた女性ですが、ここからがとてもよろしくない。
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賈南風の次は司馬倫が大暴れ
クーデター後、恵帝は司馬亮と衛瓘に国政を任せることにしましたが、賈南風、これが面白くない。彼女は司馬瑋を焚き付け、司馬亮と衛瓘を反逆罪で処刑させ、かと思ったら翌日にはその全てを「司馬イが勝手にやったこと」として罪を一人に擦り付けて処刑。
その後は彼女の一族が専横をし始めますが、これは後に司馬倫に取り除かれることとなります。
司馬倫も司馬倫で専横処か帝位簒奪をやらかすのですが、今回のツッコミどころはまずここ。
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桃園ならぬ三王決議が結ばれる
司馬倫が帝位簒奪をやらかしたことで、司馬倫を取り除くべしと人々が動き始めました。これこそが三王決議。斉王司馬冏、成都王司馬穎、河間王司馬顒らに打倒司馬倫を呼びかけると、諸将はこれに賛同しました。この討伐軍に参加するものは多く、どんどんとその数は増えていき、最終的には20万をも超える大軍が司馬倫打ち倒すべしと洛陽に向かいます。
ここ、覚えておいて下さい。
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内輪もめで大軍をぶつける八王
さて結局司馬冏も取り除かれることになり、後に権力を握ったのは長沙王司馬乂。この司馬乂と司馬穎、司馬顒の連合軍が戦うことになります。この際に司馬穎、司馬顒の連合軍は20万という大軍であり、圧倒的な軍勢が洛陽に攻め寄せました。
しかし司馬乂はここで粘り強く戦い、勝利に勝利を重ねて連合軍は7,8万もの被害を出すも、洛陽の司馬越は兵糧不足で司馬乂が敗北すると早とちりし、司馬乂を捕縛して降伏してしまいます。さて、この数も覚えておいて下さい。この20万という数字、どこかで見たことがないでしょうか。
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