【八王の乱】司馬一族がよってたかって国を壊した世にも不毛な大内乱

2022年4月2日


 

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三国志を語るセンさん

 

皆様、筆者のぐだぐだ(はちおう)の乱はお楽しみ頂けましたでしょうか。歴史を後から見てああだこうだというのは野暮かとも思いますが、それが楽しいのでご理解頂きたい!

 

三国志を楽しく語るライターセン様

 

という訳で今回、ちょっと突っ込みたいのは八王の乱のある所。

「ここ、ちょっとおかしくない?」そんな部分にちょいと野暮なツッコミを入れていきたいので、お付き合い下されば幸いです。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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八王の乱ざっくり解説

三国志のモブ 反乱

 

さて八王の乱について詳しい説明は各八王の乱メンバーの記事で述べてますので、ざっくり過ぎる八王の乱のおさらいを。

 

司馬顒と司馬越は戦うことに疲れ和睦

 

八王の乱とは司馬の八王、王に封じられたメンバーが内乱に内乱を重ねて争い、争いを重ねて国が疲弊し、ズタボロになっていく中でどんどん八王たちが脱落、最終的に生き残った司馬越が八王の乱の勝利者、という所で集結します。

 

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馬が動かした中国史

 

 

 

賈南風台風が晋をぐちゃぐちゃに

誅殺大好きな賈南風

 

そんな八王の乱でひと際目立った存在、それが賈南風(かなんぷう)です。賈南風は賈充(かじゅう)の娘で、恵帝(けいてい)の妻、つまり皇后ですが、とにかく悪妻であることばかり有名なお嬢さん。

 

司馬炎の遺言を改ざんする楊駿

 

事の始まりは司馬炎(しばえん)の遺言を楊駿(ようしゅん)が偽造し、一族で専横を企みました。これに憤ったのが賈南風、彼女は司馬亮(しばりょう)に楊一族誅殺を持ちかけるも断られ、司馬イに持ちかけて宮中クーデターを起こさせ、楊一族とついでに文鴦(ぶんおう)らが殺害されました。

 

楊駿たちを誅殺する賈南風

 

ここだけ見るとある一族の宮中専横を何とか取り除いた女性ですが、ここからがとてもよろしくない。

 

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八王の乱

 

 

賈南風の次は司馬倫が大暴れ

賈南風の悪巧み計画にのる司馬瑋

 

クーデター後、恵帝は司馬亮と衛瓘(えいかん)に国政を任せることにしましたが、賈南風、これが面白くない。彼女は司馬瑋(しばい)を焚き付け、司馬亮と衛瓘を反逆罪で処刑させ、かと思ったら翌日にはその全てを「司馬イが勝手にやったこと」として罪を一人に擦り付けて処刑。

 

泣きながら冤罪を訴えるも処刑される司馬瑋

 

その後は彼女の一族が専横をし始めますが、これは後に司馬倫(しばりん)に取り除かれることとなります。

 

読み書きのできない司馬倫

 

司馬倫も司馬倫で専横処か帝位簒奪(さんだつ)をやらかすのですが、今回のツッコミどころはまずここ。

 

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三国志と異民族

 

 

桃園ならぬ三王決議が結ばれる

司馬倫討伐を目論む司馬冏

 

司馬倫が帝位簒奪(さんだつ)をやらかしたことで、司馬倫を取り除くべしと人々が動き始めました。これこそが三王決議。斉王司馬冏(しばけい)、成都王司馬穎(しばえい)、河間王司馬顒(しばぎょう)らに打倒司馬倫を呼びかけると、諸将はこれに賛同しました。この討伐軍に参加するものは多く、どんどんとその数は増えていき、最終的には20万をも超える大軍が司馬倫打ち倒すべしと洛陽に向かいます。

 

ここ、覚えておいて下さい。

 

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新解釈・三國志

 

 

内輪もめで大軍をぶつける八王

司馬乂を頼もしく思っている味方の軍

 

さて結局司馬冏も取り除かれることになり、後に権力を握ったのは長沙王司馬乂(しばがい)。この司馬乂と司馬、司馬の連合軍が戦うことになります。この際に司馬、司馬の連合軍は20万という大軍であり、圧倒的な軍勢が洛陽に攻め寄せました。

 

青州兵(兵士)

 

しかし司馬乂はここで粘り強く戦い、勝利に勝利を重ねて連合軍は7,8万もの被害を出すも、洛陽の司馬越は兵糧不足で司馬乂が敗北すると早とちりし、司馬乂を捕縛して降伏してしまいます。さて、この数も覚えておいて下さい。この20万という数、どこかで見たことがないでしょうか。

 

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両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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