むかーしむかし、ある所に、丁儀という男がおりました。大変才能に溢れる人物でしたが、見た目が良くありませんでした。このため曹操の息子、曹丕に嫌われてしまい、曹丕の姉との縁談を邪魔されました。
この一件を丁儀はずっと恨んでいたと言います。めでたしめでたし。では終わりませんが、今回のテーマはこの丁儀と曹丕と公主の一件を考えてみようということです(前置き)。
この記事の目次
丁儀は豫洲沛国に生まれる
さて丁儀は豫州沛国の出身でした。父親の丁沖は曹操の竹馬の友であり、また曹操の夫人の一人、丁夫人の一族とも言われています。
丁儀には弟、丁イという弟がおり、後に弟や曹操の心を読み過ぎて恨みを買ってしまう楊脩と共に、曹植の四友として有名になります。また丁儀は詩才があり、その事から曹操からの評価が高かったとも言われています。
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斜視だった丁儀
この丁儀、斜視であったと言われています。斜視とは現代でも有り得る目の症状の一つであり、目が寄っている状態のこと。これは遺伝性であったり、事故や怪我などでもなることもある症状ですが、このため丁儀は片目が寄ったような状態で、目が小さく見えてしまい、このため「醜い容貌」である、と言われていました。これが丁儀の運命を変えます。
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曹丕が姉と丁儀の縁談に反対
曹操は前述したように、丁儀の父親と仲良しでした。また詩才のある丁儀の才能を買っており、娘の清河長公主を丁儀に嫁がせようと考えました。
しかしこれを聞いた曹丕が曹操に言います。「丁儀は醜いのに、そんな奴に嫁がさせられるなんてお姉ちゃんかわいそう!(だいぶ意訳)」
これで曹操も納得したのかどうかは分かりませんが、ここから公主は女癖が悪くてケチで有名な夏侯楙に嫁がされるという悲惨な結果に終わり、曹操は後で「やっぱり丁儀に嫁がせれば良かった……」と後悔し、丁儀もこの件で曹丕を恨むようになったと言います。
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曹丕を憎み曹植に肩入れする丁儀
さて多方面に禍根を残した公主の一件。丁儀は曹丕への恨みからか曹植に肩入れし、曹丕と曹植が後継者争いをするようになると弟と共に曹植擁立へ尽力。
しかし結局は賈ク先生の一言が効いたのか、後継者は曹丕に。曹植もかの有名な七歩の詩いじめなどを受ける始末。もちろん曹植に肩入れしていた丁儀たちを曹丕が許す訳もなく、丁儀は処刑されたと言います。
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曹丕が丁儀の結婚を邪魔した事実はない
見れば見るほど不幸な丁儀。容貌が少し悪かったという自分ではどうしようもない状況で、曹丕に謗りを受け、公主との縁談を潰され、肩入れした曹植は失脚、果てに全ての発端の曹丕から処刑。この流れはとても有名であり、曹丕の人の好き嫌いの激しさを良く表現しているものだと思います。
が!今回はこの曹丕の一件、実はデマでは?という一石を投じてみたいと思います。
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