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case3:郭図と取り替えると袁紹が覇者になる
「郭図と何を取っ帰るって言うんだ」と言われそうですが、ここは「袁紹の配下に残った」張コウを想像して頂きたい。官渡の戦いで袁紹は張コウに中途半端な意見採用で防衛と曹操軍攻撃の部隊を分け、曹操軍攻撃に張コウは難儀、そうこうしている内に烏巣防衛が失敗したので郭図は「これは張コウの罠(超誤訳)」と言ったので張コウは進退窮まり曹操軍に降伏しました。
袁紹がここで張コウの意見を聞き入れる方に傾いて、食糧庫防衛して、しっかり足場を固めてから張コウらに曹操軍を攻撃させていれば……曹操軍の命運、寧ろ天下の命運、変わったかな?
曹操軍にとりかへばやされた郭図がどうなるかは皆さんご想像ください。筆者は日の目は当たらないと思っています。
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超はつかないが一流の名将
魏書において、張コウは「張遼・楽進・于禁・徐晃(朱霊)」という曹操たる……いや、錚々たるメンバーと並べられています。これは曹操の在命時に最も功績のあったメンバーとされ、高い評価を受けている武将たちです。ですがその一方で陳寿先生は「張遼や徐晃みたいな記述がないんだよなー……記録漏れ?」とも零しています。
ですが「あの怒涛の勢いで猛進してくる関羽を破った」徐晃、「張遼である」張遼と比べるのは中々に酷なことでしょう。ただ三国志演義のような例もありますし、後の皇帝の司馬懿の失策を隠すという意味でも張コウは記述を削られた可能性については、筆者も考えては見たい所ですね。
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三国志ライター センのひとりごと
陳寿先生も言っていますが、張コウはやや記録が少ないところでもあります。ただ蜀にも趙雲と言う例がいるので、それを踏まえて、他者のサポートとしても活躍していた張コウはやや記録が削られた……もしかしたら意図的に、張コウの記録が削られた可能性もあるでしょう。
それでも張コウが名将なのは間違いのないことだと思います。こんな名将を対諸葛亮で置いといた曹真将軍は流石だな!ともあれ皆さんも三国志とりかへばや考察、いかがでしょうか?
どぼーん!
参考文献:魏書張コウ伝
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