稀代の英雄、そして同時に乱世の奸雄とも評された存在。それこそが三国志の英雄の一角、曹操です。三国志演義の影響もあって悪役化もされることもままありますが、悪役としてもカリスマ溢れる存在であり、また正史を見てもその非凡な才能は限りなく、間違いなく稀代の英雄と言って良い存在だと思います。
今回はそんな曹操と誰かをお取替え…とりかへばやを考えてみましょうか。
この記事の目次
傑物続出の曹氏と夏侯氏
曹操が生まれたのは155年、曹嵩の息子として乱世に生を受けました。祖父は宦官である曹騰であり、父親の曹嵩は夏侯氏からの養子とされています。
ただし夏侯氏と曹氏は代々婚姻関係を結んでいたので、血縁としてはかなり近く、また曹操の他にも夏候惇や夏侯淵、曹仁など多くの英雄が生まれており、血筋の優秀さを感じさせてくれますね。こういった優秀な血縁関係に恵まれたのも、曹操の強さだったのかもしれません。
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ボンボンだが若い頃苦労した曹操
そんな曹操がある時に参加したのが、反董卓連合。暴虐の限りを尽くす董卓を討とういう義と忠に溢れた名将たちの集まり(だったはず)でしたが、実はこれが中々上手くいかず、曹操は将と兵を失い、撤退と言う結果に終わっています。
結局この反董卓連合軍は董卓が撤退、孫堅が上洛して解散となりました。実は曹操も決して勝ちばかりではなく、この後の袁紹との決戦など、強敵たちとの命運を賭けた戦いを繰り広げているのです。
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多彩な才能を持つ曹操
そうして本当に命運を賭けた戦いを切り抜け、生き残った曹操は魏という大国を築きました。生き残れた理由にはもちろん運だけではなく、知力、判断力、人材運用能力、etc……様々な能力あってこそです。
また曹操はそういった軍事能力や政治能力だけでなく、詩才もあり、どれか一つの能力が突出していた、というよりもバランスの取れた高能力保持者、といった人物だったようですね。そんな曹操のとりかへばや、どうなるでしょうか?
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case1:劉備と取り替えると…
まずとりかへばやを考えたいのはやはり劉備でしょう。劉備も劉備で苦労し、乱世を生き残った人物。もしかしたら二人をとりかへばやしても、その道筋は殆ど変わりがないかもしれません。
ただ違うのは劉備の道を曹操が進み、曹操の道を劉備が進むということ。最初こそ小さな差異だったとしても、それはいずれ大きなうねりとなることでしょう。これは筆者のような凡人には及びもつかない、新たなるドラマが生まれる気がします。
どなたかドラマにして下さい!何でもします(ん?)
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case2:孫堅と取り替えると曹操が長生きする
ここは孫権よりも孫堅の方でとりかへばやを考えてみましょうか。さて反董卓連合軍では曹操は撤退、孫堅は董卓を退け上洛、という結果になりました。
しかし孫堅は陳寿曰く「行動が軽はずみ過ぎる」と評されるように、どうにも軽率な面があったようで、それが早すぎる死を迎えた理由の一つと言われています。
何度も佳境を乗り越えてきた曹操ならば孫堅のような横死は逃れるかもしれませんが、曹操の佳境に孫堅が立たされた場合はどうなったでしょうか。こちらは孫堅の能力が試される場面となりそうですね。
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