一時期、キラキラネームというものが良くTVなどで取り上げられていましたね。難しい漢字の組み合わせ、ほとんど当て字のようになっており、読み方が難解である……というよりも、読めないような名前を見て驚いたのを覚えています。
筆者の実名は親が「口頭で説明しやすい文字」を意識して付けられたらしく、実はとても簡単なので「書くのが大変そうだなぁ」と思ったのを覚えています。
しかしこの名前、実は皇帝孫休の時代に既にあった……と言うのが、今回のお話です。
この記事の目次
呉の三代皇帝孫休
まずは孫休について少しばかりおさらいしましょう。孫休は孫権の六番目の子供であり、呉の三代目の皇帝となった人物です。奥さんはあの朱拠の娘、実は孫休にとっては姪っ子なのですが、夫婦仲は良かったそうな。
後年はドロドロしていく呉ですが、孫休自体は(本人の興味が薄く)この相続争いからは程遠いところにおり、穏やかに過ごしていたようです。ある時までは。
関連記事:激動の時代を生きた三代目皇帝・孫休は名君か?それとも暗君?
孫綝に擁立された孫休
その頃、孫チンの専横によって孫亮が廃位させられました。廃位したなら新しい皇帝が必要。それこそ政治に興味がなく、お飾りであり、自分が好き勝手できるような……そして孫チンは、孫休を新しい皇帝にしたのです。
皇帝の座には興味がなかった孫休ですが、仕方ないとばかりに皇帝になり、孫チンに対する優遇を行いました。孫休もこの頃には誰が権力を握っているのかは分かっていたのでしょう。
関連記事:朱異はなぜ孫綝に殺されたのか?馴れ合いと非情の孫呉末期を考察
関連記事:孫呉の家庭内政争!孫峻はどうして孫綝を後継者にしたの?
孫綝を排除し政治を開始した孫休
しかし増長しすぎたのか、孫チンは口を滑らしました。
それは孫チンの捧げものを孫休が断ったとのことでしたが、これを恨んでいた孫チン、酒宴の席で「また皇帝とりかえちゃおうかな?」それをしっかりばっちり聞いた張布、孫休の腹心から孫休の耳に届き、孫休はそれならばと孫チンを取り除くことを決意します。
そうしてやっぱりばっさり取り除かれた孫チン、孫休の皇帝としての日々はここからスタートしました。
関連記事:朱桓の息子、朱異の隠しきれない狂暴性は遺伝なのかについて考察したよ。
関連記事:孫家を支えた呉の歴代丞相一覧! 初代から滅亡期まで一気に紹介
二宮の変で荒廃した呉を建て直す
そしていくつもの政策を打ち立てて行きます。それら全てが成功したのではありません。しかし二宮の変によって混乱、弱体化した呉はなんとか復活し、乱れに乱れた政治は安定していきました。そんな中で、孫休はあることに気付きました。
名前です。
関連記事:不遜面では曹操陣営で突出している許攸、彼の名前が残った理由
関連記事:夏侯惇将軍の正しい名前の読み方は、かこうとん?かこうじゅん?どっち?
名前がかぶらないよう奇抜な名前をつける孫休
孫休の言い分はこのようなものです。「人が名前を付けるのは、他人との区別をつけるため。だから名前はかぶってはいけない。だけど最近は名前と実とが釣り合っていな人間が多すぎる。たいそうな名前を親が付けてはいけない。それは盲目の者に伯明とつけるようなものだ」
こういって孫休は子供たちに名前を付けました。
長男:孫ワン
次男:孫皓
三男:孫壾
四男:孫ホウ
とてもではありませんが口頭では説明できない難解文字です。
関連記事:とっても地味な孫権の息子達7名を一挙紹介
【次のページに続きます】