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「馬家の謎」錦馬超の息子達は一体どこに消えたのか?名門馬家の謎を探る

2022年6月19日


 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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馬超の従弟「ここにいるぞ!」の馬岱

「ここにいるぞ!」と言いながら魏延を切る馬岱

 

一方で、馬超が家の祭祀を託した馬岱。馬超の従弟で、三国志演義では割と活躍している存在ですが、正史では実は良く分からない存在です。というのも、正史では馬超の臨終の際にやっとその存在が語られるのです。

 

補足しますが三国志演義の「ここにいるぞ!」の一件の元はあり、魏延(ぎえん)楊儀(ようぎ)に敗北して逃走した際に馬岱がこれを追いかけて斬った、という話は魏延伝に乗せられています。

 

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姜維特集

 

 

 

西暦235年以後、消息不明な馬岱

敗北する馬岱

 

この馬岱が魏延を斬ったというのが234年のこと。ここから馬岱の方もどうなったのかは不明になりますが、晋書(しんじょ)に記録が残されています。

 

戦で活躍する牛金

 

これによると235年に馬岱が魏に兵を引いて攻めてきたが、牛金(ぎゅうきん)がこれを破った、となっているのです。ですがそれ以降は分からず、253年に姜維(きょうい)が軍権を握って北伐を開始するも、ここに馬岱の名はありません。もちろん馬承の名もないので、最期まで馬家は謎のままです。

 

姜維

 

馬超は羌族に心服されていた、と言われているので、生きていたならそういう血筋を利用されたと思うので、個人的には断絶したのではないかと思いますが……本当に謎ですね。

 

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if三国志

 

 

 

三国志ライター センのひとりごと

三国志ライター セン

 

今回は馬超以降の馬家の謎について考えてみました。順当に言うと、たぶんもう亡くなっていたのでは、と考えられますが……蜀も蜀で安定していた、とは言い難いので、邪推すると色々な件に巻き込まれた可能性もありますね。

 

亡くなったのか、巻き込まれたのか、それとも……考えは尽きませんが、今回はここで終わりとしましょう。

 

センさんのとぷんver1

 

どぼん。

 

参考文献:蜀書馬超伝 典略 魏延伝 晋書宣帝紀

 

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法正

 

 

 

 

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セン

セン

両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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