今回の三国志とりかえばや物語は、周倉でお送りします。……あっ怒らないで!周倉は正史三国志にはいないでしょ!とはごもっとも!
ですが考えてみてください「三国志とりかえばや」なのです。そう「正史三国志とりかえばや」ではないのです!(へりくつ)なので三国志演義の人物もとりかえばやしちゃってもいいんじゃないか?
そういったおおらかかつ、ちょいとばっかし良い加減なお気持ちで、とりかえばやをよろしくお願いします。
関羽将軍の超ファン!
さて三国志演義のお話ですが、周倉は元々は黄巾賊でした。黄巾賊の残党ではあったものの、関羽を尊敬していて、お供したいと巷で噂の関羽千里行の最中に登場します。とは言え元黄巾賊は……と一度は奥方に断られるんですが。
何だかんだと周倉の同行は許されることになります。ここで周倉は「いずれ迎えに来るからな!」と中々大き目のフラグを立てて、友人の裴元紹とは別れることになります。
因みにこの後、裴元紹は割と自業自得で趙雲に殺されるので仲間にはなりません。(でも扱いひどい)
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ホウ徳捕縛
その後は周倉は関羽に付き従うことになります。どれくらい付き従うかというと関羽廟で祀られるくらいです。
他には魯粛との会談などでも働きを務めますあが、周倉の最も大きな武功と言えばホウ徳の捕縛でしょう。ここで三国志演義では関羽の水責めにより樊城、そして援軍の于禁隊が水没。于禁は降伏するも、ホウ徳は最期まで戦い続けます。
そこで出てくるのが皆さんご存知、水泳が大得意な周倉。見事なスイム力によってホウ徳を捕縛するのです。因みにここが初めて周倉が水泳得意と明かされる回でもあります。
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どこまでも
しかし事ここにあって曹仁と満寵のいる樊城は落ちない。更には徐晃が大軍を率いて援軍に、更に更に南軍が孫呉の裏切りで奪われる。
関羽は撤退し、麦城に逃げ込むも呉に包囲されてしまいます。ここで廖化が決死の脱出をして援軍を呼びに行くも、劉封と孟達に拒否され……関羽は関平と共に自ら援軍を呼びに行くことに。
周倉は関羽将軍のお帰りまでこの麦城は自分が守り抜く!
……と決意するも、関羽と関平は捕まって首を打たれ、麦城の前にその首が晒されることに。周倉は自ら首を刎ね、関羽に殉ずるのでした。……というのがあくまで三国志演義での周倉で、正史三国志には周倉は出てきません。しかし敢えて!周倉とりかえばや!やってみよう!
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case1:関索
まずはエッ……関羽将軍のご子息ととりかえばやなんて……畏れ多い!とか周倉なら言いそうですが、関索また民間伝承から生まれた存在。ある種で周倉とは近しい存在……と言えなくもありません。
この場合の関索は麦城で父と義兄の帰りを待つも、並べられた首を見て自ら殉死……という展開で。
対して周倉は、南蛮征伐に赴く諸葛亮の前にいきなり現れ「負傷していたけど治ったので参戦します!」と出てくるパターンでしょうか? 割と両名共に無理はない気もしてくるストーリーですね。南蛮征伐まで間に何年あるんだとか言ってはいけません。
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case2:廖化
廖化は正史にも出てきますが、三国志演義準拠で考えてみましょう。廖化ととりかえばやされた周倉は
「黄巾賊の残党だったが関羽に憧れていて部下にして欲しいと関羽千里行中の関羽に頼みこむも黄巾賊の残党はちょっと……と断られるも何だかんだ仲間になるキャラクター」となります。
だいたい一緒なのはもう三国志演義の七不思議の一つですね。廖化は麦城を脱出して援軍を呼びに行くのですが、周倉は走ることに定評があることを考えると、援軍要請に出されるのもおかしなことではないし、なんか割とそのまま行けちゃう二人でもあって面白いと思いました。
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