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官渡の戦いはこうして勃発した!開戦前におきた曹操と袁紹の確執とは?

2022年8月7日


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若い頃の袁紹と曹操は花嫁泥棒をする

 

曹操(そうそう)袁紹(えんしょう)はかつて旧友同士であり、群雄として領地を持つようになった後も危機に陥った時はお互いに協力をしてきました。

 

献帝

 

しかし、曹操が献帝(けんてい)を擁立すると二人の関係は急速に悪化し、最終的に官渡(かんと)で戦うことになるのです。

 

正史三国志_書類

 

今回は三国志(さんごくし)後漢書(ごかんじょ)資治通鑑(しじつがん)の記載から官渡の戦いの開戦前にどのようなやりとりがあったのかを見ていきます。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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献帝を拒む袁紹

献帝

 

195年に献帝は長安を脱して東へと遷都を試みます。しかし、献帝は弘農(こうのう)にある曹陽亭(そうようてい)で敗れ河東郡(かとうぐん)安邑(あんゆう)という場所へ逃げました。

 

沮授

 

この年の冬12月に袁紹配下の沮授(そじゅ)は、献帝を迎えて(ぎょう)を都とすべきであると進言しますが、幕僚の郭図(かくと)淳于瓊(じゅんうけい)が反対したために袁紹はこれを却下しています。

 

袁紹を説得しようとする沮授

 

ですが、献帝が前述した河東郡に入ると、袁紹は配下の郭図を派遣して献帝の様子を探らせます。戻った郭図は沮授と同じように献帝をで迎えるべきと進言しますが、ここでも袁紹は取り入れることができませんでした。

 

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曹操の献帝擁立

献帝を保護する曹操

 

その後、献帝は廃墟となった洛陽(らくよう)へ戻ります。そこから曹操に迎えられるのですが、ここの記載は後漢書と三国志で相違があります。

 

董承

 

後漢書の董卓列伝(とうたくれつでん)によれば献帝を補佐していた董承(とうしょう)が曹操を招いたとありますが、三国志の武帝紀(ぶていき)では董承は曹操が派遣した曹洪(そうこう)の部隊を袁術軍の萇奴(ちょうど)とともに防いでいるのです。

 

董承

 

その後、曹操は自ら洛陽に赴き献帝を守りますが、洛陽が廃墟であるために董昭の言葉に従って許県(きょけん)へ遷都しました。ここから献帝は曹操の傀儡として操られていきます。

 

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袁紹の後悔

献帝を傀儡化する曹操

 

曹操が献帝を迎えると袁紹は自らの選択を悔いました。詔書が届くたびに自分に都合の悪い内容なのではないかと憂えることになったのです。そこで、袁紹は献帝をけい城(けいじょう)に迎えて都にしてはどうかと曹操に持ちかけます。けい城は許県よりも北東にあり、袁紹の領土とも近い場所です。

 

袁紹を説得しようとする田豊

 

袁紹はなんとか献帝を自分のそばにおき、いずれは武力で奪うことを考えたのでしょう。当然ながら、曹操はこの申し出を拒否します。袁紹配下の田豊(でんほう)は曹操が応じない場合は、許県を急襲して献帝を保護すべきとしていますが、袁紹は従いませんでした。

 

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曹操が袁紹を責める

献帝を保護する曹操

 

献帝が許県に移ると、曹操は献帝の名を借りて袁紹に以下のような内容の詔書を送ります。

 

公孫瓚と揉める袁紹

 

「君(袁紹)は領土も広く兵も多く持っていて、なおかつ独立した勢力の様相を呈しているにも関わらず私(献帝)が危機にさらされている時に助けに来ず、あまつさえ周囲(公孫瓚(こうそんさん))と争っている。これはどういうことか?」

 

袁紹はこれに対してかなり長文な返信をして弁明をしています。かいつまむと、袁紹のこれまでの行動は全て献帝のためであるという内容です。

 

張譲(宦官)

 

例えば、かつては朝廷を乱した張譲(ちょうじょう)宦官(かんがん)を一掃し、叔父の袁隗(えんかい)が董卓のもとにいるにも関わらず董卓討伐に名乗りを挙げている(結果、袁隗は殺されている)。

 

黒山賊

 

青州(せいしゅう)兗州(えんしゅう)黄巾賊(こうきんぞく)黒山賊(こくざんぞく)が暴れていたので、それらを討伐して曹操を兗州牧(えんしゅうぼく)にし秩序の回復を図った。

 

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袁紹の反撃

袁紹を裏切る張コウ(張郃)

 

次に曹操は献帝を利用して袁紹を太尉とし、鄴公に封じようとしますが、袁紹は曹操が大将軍であったためにこれを拒みます。袁紹は曹操の下に就くことを恥と考えていましたし、かつて曹操が窮地に陥った際に何度も助けてやった恩を仇で返したと激怒。

 

恐れた曹操は穏便に済ませるために大将軍の地位を辞して袁紹に譲りました。

 

成廉、魏越、呂布

 

献帝を擁立した曹操でしたが、呂布(りょふ)の対処に困り、さらに降伏した張繡(ちょうしゅう)が反乱を起こし宛城(えんじょう)で曹操軍を破っていました。そんな中、袁紹は曹操に礼節を欠いた手紙を送りつけます。

 

荀彧

 

曹操は怒り、荀彧(じゅんいく)郭嘉(かくか)に袁紹を討ちたいが力では敵わないので、どうすればいいかと訪ねます。二人は目下の袁紹の狙いは公孫瓚なので、相手が遠征をしている間にこちらは呂布を片付けることを提案。特に郭嘉は曹操と袁紹を比較し、曹操が勝っている点を10つ述べ、曹操を安心させています。

 

呂布のラストウォー 処刑される呂布

 

それから曹操は呂布を滅ぼし、袁術も病死。張繍も再度降伏させていますが、劉備(りゅうび)徐州(じょしゅう)で反乱を起こします。

 

袁紹

 

当時、袁紹はすでに河北を平定していて、劉備からも救援要請を受けていました。田豊は曹操が徐州に向かい、空になった許都の急襲作戦を進言しますが、結局採用されることはありませんでした。

 

官渡の戦い 騎馬兵

 

劉備は敗走し、袁紹は青洲刺史の袁譚(えんたん)に劉備を受け入れるよう指示。これを皮切りに袁紹と曹操は白馬、延津(えんしん)での前哨戦(ぜんしょうせん)を経て官渡でぶつかるのです。

 

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三国志ライターTKのひとりごと

TKさん(三国志ライター)

 

袁紹は再三もともと沮授の献策に従い、河北を平定して献帝を迎えることを目標としてきました。しかし、最後には献帝を受け入れることができませんでした。

 

董卓に強引に連れられる献帝

 

袁紹はもともと少帝派で、董卓が勝手に即位させた献帝をよく思っていなかったようです。

 

劉虞

 

董卓が少帝を殺したあとに、劉虞(りゅうぐ)を皇帝として即位させようとしていることからも分かります。そう考えると、袁紹と曹操が対決することは随分前から決まっていたことなのかもしれません。

 

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TK

TK

KOEIの「三國無双2」をきっかけに三国志にハマる。
それを機に社会科(主に歴史)の成績が向上。 もっと中国史を知ろうと中国語を学ぶために留学するが 後になって現代語と古語が違うことに気づく。


好きな歴史人物:
関羽、斎藤一、アレクサンドロス大王、鄭成功など

何か一言:
最近は正史をもとに当時の文化背景など多角的な面から 考察するのが面白いなと思ってます。 そういった記事で皆様に楽しんでもらえたら幸いです。

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