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顔良と文醜は対照的な性格だから二枚看板になった

2023年4月21日


 

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顔良と関羽

 

三国志(さんごくし)である意味とても有名なお二人、それが顔良(がんりょう)文醜(ぶんしゅう)。下手をすると「ああ何か序盤で関羽(かんう)に斬られちゃった人……?」くらいの印象かもしれませんが、実はあの曹操(そうそう)も恐れた袁紹(えんしょう)軍、その袁紹軍の二大看板こそが顔良と文醜です。

 

文醜と顔良

 

しかしこの二人、どちらかというとその「名前」の方が印象に残ってしまいはしなかったでしょうか?今回は気になる二人のその容姿、考察して見たいと思います。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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顔良と文醜は実在の人物

顔良と文醜

 

氏は顔、そして名は良。それが顔良。並ぶは氏は文、名は醜。それこそが文醜。個人的な話をぶっちゃけると、何だこいつらこの名前は……?そんな風には思わないでしょうか?

 

何せ「顔が良い」の隣に「文が醜い」が並ぶのです。このインパクトは絶大であると思われます。

 

正史三国志_書類

 

更に言うならこの人たち、正史三国志(せいしさんごくし)後漢書(ごかんじょ)両方に名前が記載されています。つまり三国志演義(さんごくしえんぎ)で出てきた架空の人物ではなく、ちゃんと存在していた人物なのです!

 

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どうして醜という漢字を当てたのか?

周瑜、孔明、劉備、曹操 それぞれの列伝・正史三国志(本)書類

 

と、面白おかしくお伝えしてしまいましたが、実際に名前のインパクトは強いものだと思われます。三国志、三国志演義共に当然ながら漢字がたくさん出てきますね。その名前の羅列から印象に残る、というのは凄いものだと思います。

 

しかしここで気になるのは、どうして文醜は「醜い」という文字を名として使っていたか、という所。こういう場合はもう少し良い印象を受ける名前を使うのでは、と調べて気になったことがありました。

 

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文醜は謙虚な人だったと考えてみる

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醜い、醜というのは、醜悪であるもの、嫌悪を催すものに使われます。これは見た目のものだけでなく、内面や、有様、といった精神的なものにも用いられます。また「自らに対し卑下の気持ちを込めて用いられる」ようにも利用される物ともありました。贈り物をする際に「つまらないものですが……」という利用方法ですね。

 

それ以外にも「強くて怖いもの」にも用いるようですが、今回はこちらの「自らを卑下する」に注目してみましょう。

 

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官渡の戦いでの顔良

官渡の戦い 騎馬兵

 

さて官渡(かんと)の戦い、曹操と袁紹の戦いですね。

 

孔融

 

曹操に、孔融(こうゆう)はこう進言しました。

 

「袁紹軍には顔良がおります。かの将軍は袁紹軍の勇将の筆頭とも言える人物、油断されてはいけません!」

 

なんと、顔良は顔が良い(ような名前をしている)だけでなく、袁紹軍きっての猛将というではないですか!

 

荀彧

 

これには曹操もびっくりしてしまいそうになりますが、曹操軍のビジュアル担当、荀彧(じゅんいく)が進み出て言います。「顔良は匹夫(ひっぷ)(ゆう)、一戦にて生け捕りにしましょう」

 

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顔良が関羽に討ち取られてしまう

 

曹操は荀彧の進言を受け入れ、策略を使うことにしました。作戦は成功、顔良は突出してしまい、周囲を囲まれてしまうことになります。突出した顔良は関羽に討ち取られました。

 

顔良を討ち取る関羽

 

ほどなくしてこの顔良の敵討ちに文醜出撃させられることになり、こちらは輸送兵団を囮にされ、文醜も討ち取られることになるのでした。こうして顔良と文醜は討ち取られるのですが、ここにもう一つ、話があります。

 

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自分勝手な顔良に比較して文醜は謙虚だった

郭図

 

顔良は突出した所を討ち取られましたね。この事から分かるように、顔良は一人で出陣した訳ではなく、郭図(かくと)淳于(じゅんう)ケイと共に出陣していました。

 

袁紹に顔良の活用を止める沮授

 

何故なら顔良を出陣させようとした時に、沮授(そじゅ)が袁紹に「顔良は考えが狭いのですから、一人で戦わせてはいけません!」と言ったためです。まぁ要するに顔良は良く言われていない、下手をすると馬鹿にされているのですが、文醜はこのような場面はありません。

 

沮授

 

そう、つまり文醜は顔良と違い、自ら「醜」と名乗るような慎ましやかな性格だったのではないか?寧ろ「顔良」とか名前を付けられている顔良は、そのために思い上がっちゃうような人間だったのではないか?それを沮授の進言が意味しているのではないか……?

 

このように考察してみましたが、いかがでしょうか?

 

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伝説の神獣みたいな顔だった文醜

袁紹にお茶を渡す顔良

 

……と、まとめると「全然二人の容姿に触れてないじゃないか!」とお叱りを受けそうですね。まあ正史を見た方ならご存知と思いますが、二人の容姿に付いてはほぼ記録がありません。

 

李儒と三国志(はてな)

 

このため本当に顔が良かったか、よろしくなかったかは当時の人にしか分からないのです。ただ文醜の容姿に付いて三国志演義では何故か「身の丈八尺、顔はカイチのよう」と触れられています。

 

伝説の聖獣・麒麟

 

このカイチとは伝説の獣で、麒麟(きりん)に似ていて、大きいと牛で、小さいと羊に似ていて、一角獣である……という謎の生物のことです。まあ姿形がそのままとは言えませんし、そもそも三国志演義の記述なのですが。もしかして古の人も、顔良と文醜二人が並ぶと、何となく容姿が気になったのかな?と思った筆者でした。

 

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三国志ライター センのひとりごと

三国志ライター セン

 

正史の記載になると、余程整っているか、またはその逆か。そうでなければそれなりの身分の人物でなければ記録されない、という点もあるでしょう。なので顔良と文醜が容姿の記録がないのは、そのためであるかもしれません。

 

とは言え、個人的にどうして文醜だけ容姿の記述を三国志演義では入れたのか?

 

センさんが三国志沼にドボン a

 

それを考えてふと、やっぱり名前の印象かなぁ……と思った筆者なのでした。どぼんどぼん。

 

参考文献:魏書荀彧伝 武帝紀 蜀書関羽伝

 

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セン

両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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