三国志である意味とても有名なお二人、それが顔良と文醜。下手をすると「ああ何か序盤で関羽に斬られちゃった人……?」くらいの印象かもしれませんが、実はあの曹操も恐れた袁紹軍、その袁紹軍の二大看板こそが顔良と文醜です。
しかしこの二人、どちらかというとその「名前」の方が印象に残ってしまいはしなかったでしょうか?今回は気になる二人のその容姿、考察して見たいと思います。
この記事の目次
顔良と文醜は実在の人物
氏は顔、そして名は良。それが顔良。並ぶは氏は文、名は醜。それこそが文醜。個人的な話をぶっちゃけると、何だこいつらこの名前は……?そんな風には思わないでしょうか?
何せ「顔が良い」の隣に「文が醜い」が並ぶのです。このインパクトは絶大であると思われます。
更に言うならこの人たち、正史三国志、後漢書両方に名前が記載されています。つまり三国志演義で出てきた架空の人物ではなく、ちゃんと存在していた人物なのです!
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どうして醜という漢字を当てたのか?
と、面白おかしくお伝えしてしまいましたが、実際に名前のインパクトは強いものだと思われます。三国志、三国志演義共に当然ながら漢字がたくさん出てきますね。その名前の羅列から印象に残る、というのは凄いものだと思います。
しかしここで気になるのは、どうして文醜は「醜い」という文字を名として使っていたか、という所。こういう場合はもう少し良い印象を受ける名前を使うのでは、と調べて気になったことがありました。
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文醜は謙虚な人だったと考えてみる
醜い、醜というのは、醜悪であるもの、嫌悪を催すものに使われます。これは見た目のものだけでなく、内面や、有様、といった精神的なものにも用いられます。また「自らに対し卑下の気持ちを込めて用いられる」ようにも利用される物ともありました。贈り物をする際に「つまらないものですが……」という利用方法ですね。
それ以外にも「強くて怖いもの」にも用いるようですが、今回はこちらの「自らを卑下する」に注目してみましょう。
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官渡の戦いでの顔良
さて官渡の戦い、曹操と袁紹の戦いですね。
曹操に、孔融はこう進言しました。
「袁紹軍には顔良がおります。かの将軍は袁紹軍の勇将の筆頭とも言える人物、油断されてはいけません!」
なんと、顔良は顔が良い(ような名前をしている)だけでなく、袁紹軍きっての猛将というではないですか!
これには曹操もびっくりしてしまいそうになりますが、曹操軍のビジュアル担当、荀彧が進み出て言います。「顔良は匹夫の勇、一戦にて生け捕りにしましょう」
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顔良が関羽に討ち取られてしまう
曹操は荀彧の進言を受け入れ、策略を使うことにしました。作戦は成功、顔良は突出してしまい、周囲を囲まれてしまうことになります。突出した顔良は関羽に討ち取られました。
ほどなくしてこの顔良の敵討ちに文醜出撃させられることになり、こちらは輸送兵団を囮にされ、文醜も討ち取られることになるのでした。こうして顔良と文醜は討ち取られるのですが、ここにもう一つ、話があります。
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自分勝手な顔良に比較して文醜は謙虚だった
顔良は突出した所を討ち取られましたね。この事から分かるように、顔良は一人で出陣した訳ではなく、郭図、淳于ケイと共に出陣していました。
何故なら顔良を出陣させようとした時に、沮授が袁紹に「顔良は考えが狭いのですから、一人で戦わせてはいけません!」と言ったためです。まぁ要するに顔良は良く言われていない、下手をすると馬鹿にされているのですが、文醜はこのような場面はありません。
そう、つまり文醜は顔良と違い、自ら「醜」と名乗るような慎ましやかな性格だったのではないか?寧ろ「顔良」とか名前を付けられている顔良は、そのために思い上がっちゃうような人間だったのではないか?それを沮授の進言が意味しているのではないか……?
このように考察してみましたが、いかがでしょうか?
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伝説の神獣みたいな顔だった文醜
……と、まとめると「全然二人の容姿に触れてないじゃないか!」とお叱りを受けそうですね。まあ正史を見た方ならご存知と思いますが、二人の容姿に付いてはほぼ記録がありません。
このため本当に顔が良かったか、よろしくなかったかは当時の人にしか分からないのです。ただ文醜の容姿に付いて三国志演義では何故か「身の丈八尺、顔はカイチのよう」と触れられています。
このカイチとは伝説の獣で、麒麟に似ていて、大きいと牛で、小さいと羊に似ていて、一角獣である……という謎の生物のことです。まあ姿形がそのままとは言えませんし、そもそも三国志演義の記述なのですが。もしかして古の人も、顔良と文醜二人が並ぶと、何となく容姿が気になったのかな?と思った筆者でした。
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三国志ライター センのひとりごと
正史の記載になると、余程整っているか、またはその逆か。そうでなければそれなりの身分の人物でなければ記録されない、という点もあるでしょう。なので顔良と文醜が容姿の記録がないのは、そのためであるかもしれません。
とは言え、個人的にどうして文醜だけ容姿の記述を三国志演義では入れたのか?
それを考えてふと、やっぱり名前の印象かなぁ……と思った筆者なのでした。どぼんどぼん。
参考文献:魏書荀彧伝 武帝紀 蜀書関羽伝
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