何晏の処刑までの経緯と「誰が何晏を殺したか」

2023年4月22日


 

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何晏

 

何だか今回はミステリーの一説のようなタイトルとなってしまいましたが、今回は何晏か あんについて少しお話をしたいと思います。

 

 

何晏か あんという人物は色々とインパクトがあるエピソードが多く、ちょっと調べてみると面白い人ですが、その最期はいかなるものだったのか。

 

ポイント解説をするセン様

 

最期に付いては処刑でありますが、タイトル通り「誰が何晏か あんを殺したか」。それに付いてここでは色々と考えてみたいと思うのです。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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何晏、実は有名なあの人のお孫さん!

何進

 

さて何晏か あん、字は平叔。彼は父親は違いますが、曹操そう そうの養子となって養育されました。母親である尹氏が曹操そう そうの妾となったのが養子になった理由なのですが、実父は不明です。しかしその祖父は皆さんも良くご存知のあの方、後漢ごかん末期の大将軍、何進か しんなのです。

 

 

何晏と曹操

 

才気に溢れた何晏か あん曹操そう そうに可愛がり、娘である金郷公主を娶らせたほど。ただ曹丕そう ひからは嫌われ、その子の曹叡そう えいにも疎まれていたようです。

 

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もしかしてナルシストのテンプレートイメージは何晏!?

何晏

 

そんな家臣ですが、ナルシストであったとされています。良く漫画などでナルシストキャラクターが鏡に映る自分を見て「美しい……」なんてやっているのを見ますが、実は何晏か あんもこの気がありました。

何晏か あんは手鏡を常に持ち歩いてはそれを覗いて、自分の顔にうっとりしていたのだと……殆どテンプレート!因みに何進か しん将軍はイメージでは大柄で愚鈍っぽい人物ですが、妹が何皇后か こうごうであることを考えると、顔立ちの良い一族の可能性もありますね。

 

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曹操「私が育てました」 優秀さは間違いない何晏

同年小録(書物・書類)

 

才気煥発で曹操そうそうに可愛がられた何晏か あんですが、その才覚は間違いのないものでもありました。何晏か あんは「論語集解」や「老子道徳論」を編纂した人物でもあるのです。清談時代の先駆けをひらいたとも言われる何晏か あんは、玄学の創始者ともされています。

 

晋の司馬師は玉座に座る

 

優秀さは間違いない一方で、自分の才覚にも自信があったのか、夏侯玄かこうげん司馬師しばしと親しくしてその才能を評価しつつも、自分は神!とも準えていたとか……。さあそんな彼は、曹真そうしんの息子でもある曹爽そうそうと親しかったようで(あっ)

 

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曹爽の大出世とわんわん何晏

曹爽

 

曹叡そうえいの死後、まだ若い皇帝の司馬懿しばい曹爽そうそうが後見人を任されました。曹爽そうそう司馬懿しばいに対して最初は父親の如く接し、敬意を持っていたそうですが……段々と、曹爽そうそうは権力者としてその地位を欲しい儘にしていきます。

 

その背後には「何晏か あんが唆した」とも言われており、そもそもずっと冷遇されていた何晏か あん曹爽そうそうと親しかったために侍中尚書にまで取り立てられたと言います。

 

何晏か あん、そして丁謐ていびつ鄧ヨウとうよう曹爽そうそうの取り巻きは自分たちの良いように政権を動かしたため「尚書省には三匹の犬あり、二匹は人に噛みつき傍にも寄れず、一匹は黙に取りつく腫物となっている」この嚙みつく犬が何晏か あんということですね。因みに腫物が丁謐ていびつで、司馬懿しばいを名誉職に押し込んで実権は取り上げた人物とされています。

 

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高平陵の変、勃発(そしていつか取った杵柄)

司馬懿、司馬師、司馬昭

 

司馬懿しばい司馬懿しばいでこのままでは我が身が危険と高齢を理由に、仮病で引きこもりました。曹爽そうそう一派も司馬懿しばいには警戒を解かず、247年、引きこもっていた司馬懿しばいを探りに配下を一人向かわせます。

 

 

訪れた配下に司馬懿しばいは下女二人に体を支えさせ、薬も一人で飲めずに零すほど体が弱っているように見せました。流石、昔曹操そうそうから出仕しろと言われて仮病で逃れようとした司馬懿しばい、年季が違います。これにうっかり騙された曹爽そうそうは、司馬懿しばいは最早刃向かうことはないと油断してしまうのです。

 

曹芳

 

そして249年1月6日、曹芳そうほうは明帝の陵墓に参拝するため高平陵に向かい、曹爽そうそうとその弟の曹羲そうきもこれに付き従いました。知恵袋である桓範かんぱんが必死に引き留めるのも聞き入れずに……。

 

 

「子丹様は素晴らしいお方だったのに!お前たちは豚の子だ!!」

司馬懿の墓

 

そして起こった高平陵の変、司馬懿しばいによるクーデターにより、洛陽は抑えられてしまいました。桓範かんぱんは何とか洛陽を抜け出して曹爽そうそうの元に辿り着くと、曹芳そうほうを擁して司馬懿しばいとの戦いを勧めます。しかし曹爽そうそう司馬懿しばいから「処分は免官まで、命まで奪おうというものではない」となると「解任されるだけならまだ私は裕福に暮らしていけるな!」と戦わずして司馬懿しばいに降伏。

 

司馬懿

 

あまりのことに桓範かんぱん曹爽そうそう兄弟たちをその父、曹真そうしんと比べて嘆いたと言います。その後、249年1月10日、内部告発によって曹爽そうそう一派、及び、それと親しかった何晏かあんらの処刑が決定するのでした。

 

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何晏へのラストスポットライト「誰が何晏を殺したか」

司馬懿

 

ここで何晏かあんの話に戻ります。司馬懿しばいは当初、何晏かあん曹爽そうそうらの裁判を命じました。何晏かあんは自分だけでも助かろうと、丁謐ていびつ鄧ヨウとうようらの名前まで書き出して厳しい罰を与えるように取り計らいました。しかしそんな何晏かあんを見た司馬懿しばい

 

「捌くべき人物はもう一人のではないか?」と声をかけました。

 

「それは私のことでしょうか」

 

高順が呂布に疎んじられた理由07 高順

 

何晏かあんのその言葉に司馬懿しばいは頷き、何晏かあんも連座して処刑となったのであります。さて最後から見ると何晏かあんを処刑したのは司馬懿しばいですが、例えば辛ピしんぴの子の辛ショクしんしょくなどは(姉の助言で)クーデターの際に曹爽そうそうの元に駆けつけるも、その振る舞いは「危急の時に主君に忠を尽くした」と評価されて処刑を免れたとされています。

 

悪い表情をする司馬懿

 

その事からすると、もしかしたら何晏かあんの最期の振る舞いが司馬懿しばいの逆鱗に触れた可能性も無きにしも非ず。となると何晏かあんを処刑したのは、何晏かあんの振る舞いそのものであったのかもしれません

 

 

三国志ライター センのひとりごと

三国志ライター セン

 

何晏かあん、最期が最期なのでどうにも正当に評価をし辛い人物でもあります。ですがそんな中で、どうして何晏かあんはそこまで足掻いたのか、も気になる所です。事実、優秀であった人物が二代に渡る冷遇で心身共に腐り墜ちたのか。それで尚、最期の最期で自分が成したかったことを思い出して生き足掻いたのか。それともただ同朋を生贄にしただけか。

 

センさんが三国志沼にドボン b

 

もしかしたら人によって色々な見方ができる人物かもしれませんね、何晏かあんは。ちゃぽん。

 

参考:魏書曹真伝付属何晏伝 魏氏春秋

 

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両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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