三国志の中でもとりわけ有名な「赤壁の戦い」。北から迫り来る曹操を、孫権と劉備の同盟軍が迎え撃ち、みごとに撃退した戦いとなります。
この敗北を受けて曹操は撤退。曹操軍によっていったんは領土を奪われ、孫権の保護を受ける立場となっていた劉備はこの勝利によって息を吹き返し、孫権の援助を受けながら、荊州の地を攻略し、その後には益州を攻略して蜀の建国にいたります。
まさに、赤壁の戦いの結果を受けて、曹操、孫権、劉備による天下三分割の構図ができあがったと言えるでしょう。
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赤壁の戦い直後に孫権が欲を出し劉備を放逐してしまったら?
ですが、よくよく考えると、曹操の脅威が去ったあと、孫権が律義に、劉備が荊州を攻略することを助けていたのは、いささか不思議ではないでしょうか?
もちろん、孫権は孫権で、劉備に働いてもらっているうちに、自己の領土を固めておきたい等、いろんな思惑があってそのような判断をしたのでしょうが、
あくまでイフ展開としては、赤壁の戦いで曹操に勝った孫権が、そのとたんに、あっけなく同盟を破棄して劉備を追い出し、自分の軍によって荊州を攻略してしまうシナリオも、あり得たのでは?
このように動けば、放り出された劉備とその部下たちはまたしても流浪の身、中国は、北の大部分を曹操が、南の大部分を孫権がおさえる、いわば天下二分状態になったのでは?
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このイフ世界で影響を被る第三勢力たち
今回はぜひ、この世界線では、赤壁の戦い後の勢力図はどのように動いたかを考えてみましょう。
まず、先ほど述べた通り、このイフ世界では、曹操が息を吹き返すまでの間、孫権が無双状態になります。荊州を攻略し、曹操と天下を二分する構図を作ってしまうでしょう。
そしてこの世界で、曹操と孫権以外で地図上に残っている勢力は、馬超、劉璋、張魯といったところ。それぞれ中堅勢力くらいといった規模ですが、巨大化した曹操と孫権に敵うものではありません。
ところが、この世界、「天下は、曹操か、あるいは孫権か、二強どちらかのものとなる・・・」とは収まらないかもしれません!
孫権軍から追い出された劉備が、関羽や張飛や諸葛亮を引き連れたまま、領土をもたない流浪の身ながら、フリーの立場で自在に中国を動いているのです。そんな劉備が、第三勢力の君主たちとの接触を図ったら、何が起こるでしょうか?
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劉備の新しい保護者には誰がふさわしいか?
そもそも、劉備は、若い頃から、何度も拠点を失っては、そのたびに、誰か有力者の保護を受け、復活してきた人物。流浪の身からの再起は、もはや、お家芸のはずです!そんなこの劉備が、新たに保護を求める君主は誰でしょうか?
馬超のもとに身を寄せることは、おおいに、ありそうです。馬超と劉備は対曹操ということで利害が一致します。また、若い馬超は経験豊かな劉備をアドバイザーとして重宝するかもしれません。
劉璋のもとにいくことも、考えられます。史実では劉備は劉璋の治める益州に攻め込んだ立場ですが、その際も、劉璋は劉備のことを尊敬し、最後には平和的に投降しました。そんな劉璋、流浪の立場の劉備が丸腰で保護を求めてくれば、喜んで積極的に保護したかもしれません。
しかし、よく考えると、馬超や劉璋よりも、劉備が身を寄せるべき相手がいることに気づきました。張魯です。張魯は、漢中を治めていた人物。
史実では、赤壁に敗れた曹操軍が今度は漢中方面に目をつけるようになったため、怒涛の侵攻を受け、あっけなく滅ぼされてしまった人物です。
この張魯のところに、「対曹操で手を組もう」と劉備がやってきたら?曹操の脅威に苦しむ張魯は喜んで迎えた可能性があります。
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劉備のまさかの漢中奪取!孫権のせいで実現した「劉備対張魯の国盗り物語」
ですが、張魯は宗教団体の頭領という、いっぷう変わった出自で群雄の一人となっていた人物。正直なところ、武勇の名声が高い馬超とも、かなり強力な家臣団に守られていた劉璋とも、事情が異なります。すなわち劉備にとって、比較的、「国の乗っ取り」をやりやすい人物と言えるでしょう。
やってきた劉備が、いつのまにか漢中の民衆の支持を得てしまい、張魯よりも劉備を慕う人がどんどん増えてきたら?
しかも諸葛亮を筆頭とする劉備の参謀団がさまざまに工作し、国盗りの条件を進めるのです。張魯は下克上であっけなく追放。なんと劉備が史実よりもかなり早い段階で「漢中王」になってしまうかもしれません。
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劉備と馬超と劉璋の談合で史実の蜀よりも強大な「蜀」が出現する?
突如、曹操と孫権の二強に割り込む「漢中の劉備」の出現。しかも、その北と南の隣国の君主は、馬超と、劉璋です。こうなると、対曹操、対孫権の意味合いから、劉備を盟主に、馬超と劉璋を巻き込んだ同盟の成立があり得ます。
しかも、馬超と劉璋は、劉備との相性は抜群。同盟と言いつつ、事実上、劉備を皇帝に置いた連邦国家「蜀」を作り、自分たちが劉備の傘下として動くことを受け入れるかもしれません!西涼と漢中と益州を併合した劉備は、蜀を建国します。
こうして出現した、この世界線での「蜀」は、史実の蜀よりも領土が広大なうえ、平和裏な国盗りと談合のおかげで、劉璋・張魯・馬超の軍勢を無傷で確保できています。実際の蜀よりも強い蜀が三国の一角に出現します!
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まとめ:これを恐れて孫権は劉備を引き留めていたわけではないでしょうが・・・
意外や意外、赤壁の戦い直後に孫権が劉備を裏切って追い出したシナリオでは、劉備が史実の劉備よりも強力になって帰ってきてしまいました!
もちろん、このシナリオは、たぶんに私の夢が詰まったイフ展開ですが、史実よりも速い段階で、史実よりも広大な「蜀」が出現するこのシナリオ、劉備びいきな方には胸躍る展開ではないでしょうか?
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三国志ライターYASHIROの独り言
むろん、孫権は、こんなイフ展開を予測し、それを恐れて劉備との同盟を律義にキープしていたわけではないでしょうが、あくまで「夢展開の三国志」として、このようなイフ展開、いかがでしょうか?
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