時代は後漢末期。張角をリーダーとする黄巾の乱が勃発し、中国大陸は混乱に陥ります。
この時、黄巾の乱鎮圧に立ち上がった地方の英雄たち、孫堅や曹操や劉備が、既存の漢王朝の重鎮たちがもたもたしている中、反乱軍との戦いの中で成果をあげ、経験を積み、名声を高め、黄巾の乱鎮圧後の時代に、それぞれ天下を狙える力をつけてしまうことになります。後漢王朝にとっては、なんとも皮肉な話です。ですが、ここでもう一度、黄巾の乱の時期を見直してみましょう。
孫堅や曹操や劉備が登場するまでは、後漢王朝の人材は無能揃いだったとしばしば言われておりますが、本当にそうだったのでしょうか?
孫堅や曹操や劉備の前の世代に、黄巾賊鎮圧に成功し、そこから一気に天下を狙えるだけの才覚の持ち主はいなかったのでしょうか?そこで今回は意外な人物にフォーカスしてみたいと思います。益州の英雄、劉焉です。
この記事の目次
そもそも劉焉とはどんな人物?
「劉焉って誰だっけ?」と思った方も多いと思いますので、整理しましょう。
劉焉という名前は、『三国志演義』では、黄巾の乱の鎮圧時に名前が出てきます。
この時期の劉備の前に現れて親交を結びますが、後の劉備の益州攻略の際、「実はあの時に会った劉焉が、益州の太守である劉璋のお父さんだった」ということが判明し、
その縁もあって、劉璋はどちらかといえば友好的な態度で劉備に降伏し、彼を成都に迎え入れました。『演義』での記述はこの程度なので、三国志ファンの間でも劉焉といえば、「劉璋のお父さん」というくらいにしか記憶されていない模様です。
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実は三国志きっての悪役の素質があった!『正史』における劉焉の姿
ところが『正史三国志』の劉焉の記述を見ると、まったく印象が変わります。
・劉焉は後漢王家の血筋の者である(皇帝にとって分家にあたる)
・霊帝に取り入り、益州の統治者(州牧)に任じてもらった
・だが益州のリーダーに任じてもらったのは、漢王朝のためにまじめに地方を統制しにいったというよりは、後漢王朝の衰退を見越して、早めに地方に権力基盤を築き、割拠するための計算だった様子
・その証拠に、益州に入ると、反対者を続々と粛清し、一種の独裁者としてたちまち君臨する
・もうひとつ、その証拠に、益州に入った劉焉は、宗教団体のリーダーであった張魯をそそのかし、漢中にて独立させている(張魯の軍勢を益州にとっての緩衝地帯に利用する目的と思われる)
これを、中央で黄巾の乱やら董卓の暴政やらが吹き荒れている間、着々と益州で進めていたのですから、よほどな先見の明がある人物と思えます。
そればかりでなく、粛清による権力固めや、張魯を操る手腕など、かなりの陰謀家タイプと見受けられます。率直にいって、タダモノとは思えません!
残念ながらこの劉焉、西暦でいう194年に病で急死してしまい、彼の権力基盤である益州は劉璋に受け継がれてしまいます。それゆえ活躍の場は少ないのですが、もしかするとこの人物、時機を得ればとんでもない活躍ができた英雄的存在だったのではないでしょうか?
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もし劉焉が黄巾の乱をまじめに鎮圧してしまっていたら歴史は大変なことに!!
そして、実際には益州という地方の独裁者で終わってしまった劉焉が、中央の歴史を揺るがすチャンスが、一度、あったのです。先ほども出てきた、黄巾の乱鎮圧の時代です。
後漢王朝の重鎮たちが、黄巾の乱の鎮圧を皇帝に命じられつつも、ほとんど無能を晒すだけで終わっていたこの頃、劉焉は中央での反乱鎮圧にはあまりまじめに顔を出した様子がありません。ですが、もしここで朝廷が劉焉に目をつけ、彼を黄巾賊鎮圧の責任者に任じていたら、どうなっていたでしょうか?
さすがにこうなると劉焉も逃げきれず、その陰謀家としての手腕を発揮して、黄巾賊の幹部たちを続々と手玉にとり、あっけなく鎮圧に成功してしまったかもしれません!ただし、このシナリオは中国の歴史にとってあまり良い展開ではなさそうです。というのも黄巾賊鎮圧に成功した劉焉は、その成果をもって、たちまち後漢王朝の大権力者にのし上がってしまうからです。
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本来の三国志序盤の悪役「董卓」がかすむほどの悪役に、劉焉が、なる?
史実では地元益州で反対者の粛清に躊躇なく、時には陰謀で隣国の宗教指導者も煽動していたような人物が、多大な戦果をもって王朝の中心人物にのし上がってしまった、そんなイフ世界。何やら嫌な予感ばかりが増してこないでしょうか?
おそらく洛陽の実験を握った劉焉は、何進や十常侍をあっけなく粛清し、自身の権力をますます確固としたものにするでしょう。こうなると、次に起こることは、中央の覇権をめぐる董卓との対立です。ですが、黄巾賊鎮圧に成功したという巨大な成果を持っている劉焉と、董卓とが権力争いをした場合、分があるのは劉焉のほうではないでしょうか?
董卓は中央への野心を持ちながら、西方に割拠している間に劉焉に暗殺され、ほとんど何もできずに歴史から消えてしまうかもしれないのです!董卓すら何もできないガチな悪役の登場!
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まとめ:反董卓連合軍ではなく、反劉焉連合軍が群雄割拠時代の幕開けとなる?
しかし、これをもって、劉焉が後漢王朝を永らえさせることができるかとなると、そうもいかなそうです。粛清と権謀術数を基盤としている劉焉は、人心を得ることができず、結局は反発が広がり、中国は混乱に陥るでしょう。となると、劉焉が黄巾賊を鎮圧してしまった場合の歴史というのは、董卓のポジションが劉焉に入れ替わるだけで、やはり群雄割拠の時代に突入していきそうです。
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三国志ライターYASHIROの独り言
ただし、贅沢三昧や残虐行為に明け暮れていた董卓と、強烈な独裁者であるとはいえ堅実な仕事人タイプの劉焉、三国志の「悪役」として群雄達の前に立ちはだかった時、どちらのほうが難敵だったでしょうか?むしろ劉焉のほうが、董卓よりもはるかに面倒で、もっと長い間、独裁体制を永らえさせ、群雄達を苦しめる「名悪役」として暴れまわりそうな気がするのですが、いかがでしょうか?
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