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曹操って孫子の兵法書を編集した人だけど兵法を使って戦ったことあるの?

2017年1月25日


 

孔明と司馬懿

 

三国志最大の兵法家といえば誰を思い浮かべますか。

諸葛亮孔明ですか。それとも司馬仲達でしょうか。

いやいや孫呉の周公瑾(しゅうこうきん)でしょう。

など色々な名前が出てくると思います。

しかしレンが三国志一の兵法家として名前を上げるのであれば曹操だと思います。

 

藏覇と曹操と袁紹

 

曹操の戦における通算の勝率はなんと80%だったそうで、

この勝率は驚異的な数値であると思います。

 

曹操 機密保持

 

そんな曹操だからこそ自ら孫子の兵法書に注をつけて「魏武注孫子(ぎぶちゅうそんし)」という

本を出版しております。

ここで一つ疑問が起きませんか。

曹操は勝率80%を誇っていた天才兵法家で幾度も戦で兵法を使用しているはずですが、

一体どのような兵法を使っていたのか。

今回は三国志演義・正史三国志を問わずに調べてみました。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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曹操が使った兵法の応用その1:遠交近攻の計

政

 

キングダムでは秦王政が遠い国である斉と同盟を結び、

秦から比較的に近くの国である趙や韓、、楚の国々とは戦い続けていくことになります。

この計略は秦の宰相であった范雎(はんしょ)が考え出した策略で、

遠交近攻の計(えんこうきんこうのけい)という外交戦略です。

 

荀彧

 

さて三国志の曹操もこの遠交近攻の計を軍師である荀彧(じゅんいく)

からの進言によって使用しております。

曹操は献帝を許(きょ)へ向かい入れた当時、呂布袁紹袁術、関中の軍閥などの勢力によって

四方を囲まれている状態でした。

 

曹操

 

曹操は一切同盟しないで独力で自らの道を切り開くという主義を貫いていた困ったさんでした。

そこで軍師の荀彧は曹操へ「殿。現在我が勢力は四方を囲まれている状態ですが、

とりあえず関中の豪族達が我が勢力へ攻撃を仕掛けてこないようにするために、

鍾繇(しょうよう)の調整力をもって関中の割拠している豪族達をてなずけさせるのは

いかがでしょうか。」と進言します。

曹操は荀彧の進言を採用して鍾繇を長安へ派遣して、

関中に割拠している豪族達をてなずけるように命じます。

この結果関中の豪族達は鍾繇の篤実な説得を受けて、

曹操の勢力内に侵入することをしませんでした。

その間に曹操は呂布、袁紹らの群雄達を討ち滅ぼすことに成功します。

 

曹操が使った兵法の応用その2:囲魏救趙の計

孫武 ゆるキャラ

 

この計略は戦国時代の斉の名軍師としてその名を歴史にとどめた孫臏(そんぴん)が使った兵法。

斉は魏に攻撃されている趙から救援依頼を受けます。

当時の斉王は魏と仲が良かったのですが、

魏が趙を滅亡させると超巨大な国家が誕生することに危機感を感じ、

趙へ救援軍を送る決意をします。

この時斉軍の総指揮官は田忌(でんき)で参謀は孫臏でした。

孫臏は斉軍の総大将である田忌へ

「魏軍を趙から去らせるには魏の首都を攻撃すればいいでしょう。」と進言。

田忌は孫臏の進言を受け入れて、魏の首都である大梁へ向けて進軍を開始します。

魏軍は斉軍が大梁へ向けて進軍していることを知り、急いで趙の首都の包囲をやめて

大梁へ向けて帰還します。

この時斉軍は魏軍の帰路に伏兵を設けて、魏軍が近づいてきた時に伏兵を作動させて

ボコボコにします。

こうして天下最強として名高い魏軍を完膚なきまで叩いた孫臏の名前は

天下に広まることになるのです。

さて曹操がこの作戦を使用した時期は関羽が樊城へ攻撃を仕掛けてきた時でした。

曹操は関羽軍によって樊城が落城寸前まで追い詰められていると知り、

于禁や龐徳(ほうとく)らに軍勢を預けて援軍として向かわせますが、

于禁は関羽に降伏し、龐徳は関羽に討ち取られてしまいます。

この状況を知った曹操はどのような手を打とうか判断に迷っていた際、

曹操の側近として仕えていた司馬懿(しばい)が

「王よ。孫権に使者を送って「荊州を取るならば我が軍は一切攻撃をしない。

その代わり関羽軍の背後を突くべし」と伝えてみてはいかがでしょうか。」と進言。

曹操は司馬懿の策を早速採用して孫権に使者を送ります。

孫権は曹操の使者を引見するとすぐに劉備との同盟を破棄して荊州へ攻撃を仕掛けます。

この結果関羽軍は樊城から撤退することになるのです。

この計略を囲魏救趙(いぎきゅうちょう)の計と言います。

 

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三国志ライター黒田レンの独り言

黒田廉さん02b 背景あり

 

曹操は天才兵法家らしく上記のような計略を使用して自らの危機を脱しております。

ここに紹介して計略は曹操が使った計略のほんの一部であり、

他にも探れば色々とあるのでお正月で時間ができた方は曹操が使用した計略について

調べてみるのもいいかもしれませんね。

今回は曹操が応用して使用した計略についてご紹介しました。

 

参考文献 三国志 勝つ条件 敗れる理由 加来耕三著など

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

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