曹操(そうそう)の50万の大軍に押され、
長坂(ちょうはん)の戦いを何とか切り抜けた劉備(りゅうび)主従ですが、
兵糧と資金が満載されていた江陵(こうりょう)城はすでに
曹操に抑えられていました。
行き場を失った劉備一行ですが、そこで江夏(こうか)の
劉琦(りゅうき)が助け舟を出します。
劉琦(りゅうき)って誰?
劉琦とは、亡くなった劉表(りゅうひょう)の長男でした。
病弱ではありましたが、聡明で優しく親孝行で知られていて、
本来ならば、劉表の跡を継いで荊州の太守になる筈でした。
しかし、劉表は、再婚相手の蔡夫人が産んだ、次男の劉琮(りゅうそう)を
寵愛するようになり劉琦は忘れ去られます。
そればかりか、蔡夫人の兄である重臣蔡瑁(さいぼう)は、
劉琦を邪魔に思いこれを暗殺しようとさえ企んでいました。
城内でも孤立していた劉琦は、当時、荊州に逃れていた劉備に接近し
色々と相談に乗ってもらっていたのです。
劉琦は、蔡瑁が自分の命を狙っているとして、
孔明(こうめい)にどうすればよいでしょうか?と助言を求めます。
孔明は当初、圧倒的に有利な蔡瑁の一派に劉備が睨まれるのを
嫌がり劉琦に助言するのを渋ります。
ところが、劉備がこれを取りなし、何か計略があれば、
劉琦に授けてやってくれと重ねて孔明に頼んだのです。
孔明は嫌々、劉琦にアドバイスをする
孔明は渋々、
「襄陽(じょうよう)にいては、蔡瑁一派に近く、どんな事をしても
禍を免れる事は不可能です、、
今の内に無人になっている江夏城を守ると劉表殿に進言して
急いで、ここを離れる事でしょうな、、」
と助言しますと、劉琦は喜び、早速江夏城に赴任しました。
その直後、劉表は亡くなり、曹操軍が50万の大軍を擁して、
荊州に入ってきます。
蔡瑁と荊州の太守になった劉琮は、あっさりと曹操に降伏してしまい、
劉備軍は、たった5千で曹操の大軍と戦う羽目になったのです。
ですが、軒並み降伏した、荊州でも劉琦だけは独自の態度を取り、
劉備が敗走したと見るや、これを迎え入れたのです。
まさかの孔明も劉琦に助けられるとは思ってもいなかった
まさに情けは人の為ならず、、親孝行であった劉琦は
受けた恩義を忘れない人でもあったのでした。
三国志一の軍師、孔明も、まさか、ここで劉琦に救われようとは
思っていなかったかも知れません。
あの時、あくまで劉備の不利益を気にして、劉琦に策を授けなければ
劉琦も江夏城に入る事もなく、城は曹操に奪われていたかも知れません。
劉備の人徳に感心した孔明
孔明は、劉備の損得抜きに自分を頼ってくる人を助ける人徳の力
というものを実感したでしょう。
ともあれ、劉備は劉琦の守る江夏城を実質的に支配し、
劉琦が確保した水軍を合わせて3万の軍勢を保持できました。
まもなく孔明は、荊州から曹操を追いだし、益州(えきしゅう)の
劉璋(りゅしょう)を撃ち破る時間を稼ぐ為に孫権との連合を考えます。
ただの根なし草の劉備なら、孫権(そんけん)も本気で同盟を組もうとしたか
疑問ですので、劉備が江夏に拠点を持ったのはまさに不幸中の幸いでした。
耳で聞いて覚える三国志
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歴史ライターとして、仕事をし紙の本を出して大当たりし印税で食べるのが夢です。
もちろん、食べるのはサーモンです。