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三国志の袁紹のお墓ってどこ?「三国志観光スポット」

2018年5月6日


 

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袁紹

 

 

中国には劉備(りゅうび)諸葛孔明(しょかつこうめい)張飛(ちょうひ)のお墓や呂布(りょふ)のお墓など三国志のスポットが多く存在しており、三国志好きなら一度はぜひ行ってみたいと思っている方も多くいるでしょう。

 

曹操にコテンパにされる袁紹

 

 

そこで今回は曹操(そうそう)の最大のライバルとして立ちはだかった河北の覇者・袁紹(えんしょう)のお墓をご紹介したいと思います。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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河北の覇者・袁紹の最後

袁紹の最後

 

袁紹は公孫瓚(こうそんさん)を倒して、河北全域(現在の中国の東北部)を手に入れることに成功。そして袁紹は河北の地で兵士を訓練して強くしながら兵力の拡大に勤しみ、内政の増強につとめて、国の力を蓄えていきます。袁紹はこうして何年か力を貯めた後、大軍を率いて曹操を倒すべく南下を開始。初戦は袁紹軍の二枚看板と言われた顔良(がんりょう)文醜(ぶんしゅう)が討ち取られてしまった事などもあり、曹操が優勢に戦況を動かしていました。

 

顔良を潰す関羽

 

しかし袁紹は曹操軍の優勢に揺らぐことなく、大軍で曹操軍を圧倒し、ついに曹操のチョー重要な防御地点・官渡城塞を攻撃するべく大軍と複数の攻城兵器を用いて攻撃を開始。

 

袁紹に追い詰められる曹操

 

袁紹と曹操の戦いは誰がどう見ても圧倒的な兵力を有する袁紹軍の猛攻に曹操軍が勝つ見込みなどほとんどないと思っていました。この官渡近辺で起きた戦いを後に「官渡(かんと)の戦い」と呼ばれます。曹操は官渡で袁紹の猛攻に我慢強く耐えます。

 

袁紹を裏切り兵糧庫の場所を曹操に教える許攸

 

そんなある日袁紹陣営から曹操へ軍師・許攸(きょゆう)がやってきます。許攸は曹操へ袁紹軍の食料貯蔵庫の場所を教えます。曹操は許攸からもたらされた袁紹軍の兵糧貯蔵庫へ奇襲攻撃を開始。袁紹は食料貯蔵庫が曹操軍の攻撃を受けている事を知ると急いで援軍を差し向けますが、時すでに遅く、曹操軍の攻撃で食料は燃やされてしまうのでした。

 

 

 

袁紹は軍を支える食料が燃やされた事と前線の張郃(ちょうこう)らの将軍が寝返リなどが起きて混乱している所に曹操軍の総攻撃を受けて敗北。袁紹は官渡から逃げ切り情報を頼りにで曹操に敗北した後、本拠地の(ぎょう)へ帰還します。その後袁紹は自分が敗北した事で河北一帯で反乱が連続して起き、その反乱の鎮圧に忙しくなります。しかし袁紹は曹操軍に敗北した事が大きなストレスとなり、病を発症しそのまま回復せずに亡くなってしまうのでした。

 

曹操孟徳

 

 

袁紹のお墓はどこにあるの

司馬懿

 

袁紹は現在の中国にお墓があるのでしょうか。色々と調べてみた結果。袁紹のお墓はちゃんと残っていました。袁紹のお墓は現在の中国の河北省というところに存在しています。

 

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袁紹の墓へのアクセス方法

自動車(クラシック)に乗るkawausoさん

 

袁紹のお墓までどのようにしていけばいいのでしょうか。こちらも調べてみました。その結果まず羽田空港から飛行機で天津(てんしん)を目指します。羽田から天津までは約3時間程で到着することができます。そして天津から河北省滄州市(そうしゅうし)を目指しましょう。天津から河北省滄州市まで車で大体2時間程で到着。

 

河北省滄州市についたらここから袁紹のお墓がある滄州から高川郷へ向かうバスを使います。滄州から高川郷までは大体1時間程で到着です。そしてこの高川郷から車で大体15分または歩きで一時間程歩いてもらうと袁紹のお墓のある前高龍華村(ぜんこうりゅうかそん)にやっと到着することができます。日本からだと結構な時間がかかるのがネックですが、三国志好きで袁紹のファンなら垂涎の三国志スポットだと思います。

 

 

三国志ライター黒田レンの独り言

黒田レンの独り言

 

いかがでしたでしょうか。今回は中国の三国志スポットの一つである袁紹のお墓をご紹介しました。袁紹のお墓は規模としては結構大きいそうです。しかしいつこの袁紹のお墓が無くなるか分からないので、袁紹好きなはじめての三国志ファンがいらっしゃるなら早めにこの地を訪れて一回拝んでみるのもいいかもしれませんね。もちろん一泊二日などの短期旅行だと結構な疲労がたまると思うので、ちょっとした長期休暇を取った時に行くのがベストだと思います。

 

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kawauso編集長です。 はじ三の中の人です。 様々なトピックを立てますが 盛り上がらない時には ごめんね。 大体、咬まないので 気軽にからんでもらえると 嬉しいです。

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