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病気の呂蒙を穴から見守る孫権

2015年8月14日


呂蒙

呂蒙(りょもう)、字は子明(しめい)

汝南(じょなん)郡出身の呉の武将について、語りたいと思います。

 

「呉下の阿蒙(あもう)にあらず」

(昔のまま進歩していない人間ではない、という意味)

 

「士(し)別れて三日、即ち更に刮目(かつもく)して相待すべし」

(日々鍛錬していれば、三日もすれば人がかわったように進歩するから

先入観で人を見るな、という意味)

 

といった言いまわしでよく知られている人物です。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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武闘派で知略派で病弱

甘寧 呂蒙 凌統

 

惜しい……!

 

ここにあと、「イケメン」というステータスが加わったら、

呂蒙は確実にあらゆる創作物においてヒーロー役をあてがわれたことでしょう!

 

すみません。話を戻します。

 

呂蒙は少年の頃、姉の旦那さんが戦いに行くのにこっそりついていき、

帰って来てからお母さんにしかられたというエピソードがあります。

 

そのとき呂蒙はこう答えました。

「虎穴に入らずんば虎子を得ずと言うではありませんか。

 僕はいつまでも、こんな貧乏暮らしをしたくない」

 

そんな非凡な才能を、孫策(そんさく)に評価され、

呉の武将として名を連ねることになります。

 

孫策の死後、呂蒙は頭角を現す

孫策の人生に一辺の悔い無し

 

その後、孫策の死により、当主が孫権(そんけん)に変わってから、

呂蒙は徐々に頭角を現していきます。

 

210年、孫権の片腕ともいえる周瑜(しゅうゆ)が死亡し、

魯粛(ろしゅく)が後任となりました。

 

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頭がよくないので孫権に「勉強しろ」と言われる

遅れて来た孫権 英雄

 

その頃の呂蒙は、武将としての名は知られていましたが、

頭の方はあんまりよろしくない、と思われていたようで、

魯粛は呂蒙を軽んじていました。

 

ところがある日、

孫権から「おまえも勉強しろ」と言われたことをきっかけに、

呂蒙は学問にはげみ、どんどん知識を吸収していきます。

魯粛も「これほどだったとは」と驚くほどの智将に成長していたのです。

 

217年、魯粛が死ぬと、

孫権は、呂蒙を頼りにします。

 

蜀と接する重要な拠点を任せられた呂蒙は

魯粛と違って、劉備に対して強硬路線を選びます。

 

219年、蜀と荊州を巡って争い、

呂蒙はついに、あの関羽を討ち取ります。

 

しかし、なんということでしょう。

その直後、自らも病に倒れてしまうのです。

 

三国志演義』では関羽の霊に呪い殺されたとされていますが

実は、呂蒙はもともと病気がちだったというのです。

 

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呂蒙のことが心配で心配で

呂蒙 孫権

 

もともとの病が悪化し、呂蒙は床につきました。

 

これまで、周瑜、魯粛と頼りになる智将を立て続けに

若くして亡くしてきたので、

孫権は、呂蒙のことが心配でたまりません。

 

莫大な賞金をかけてふれを出して医者を募ります。

 

そして、自分が見舞いに行っては、

呂蒙が気をつかって起きようとするのではないかと思い、

呂蒙の病室にのぞき穴をつくり、

そこから呂蒙の様子をじっと見守ります。

 

また、星に祈りをささげて、呂蒙の延命を乞います。

 

孫権の必死の想いが伝わったのか、

呂蒙は一時的に小康状態になります。

孫権は大喜びをして、大赦を行いました。

 

しかしながら、呂蒙の病は結局治ることなく、

享年42歳にして、孫権を残して亡くなってしまいます。

 

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この記事を書いた人:東方明珠

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はじめての三国志

通称「はじさん」のはじっこライター東方明珠です。

普段は恋愛系のノベルやシナリオを書いています。

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東方明珠

中国は上海の雰囲気が好きなので、テレビ塔の「トンファンミンジュ」を名乗っています。もともと『水滸伝』の大ファンで、『三国志』に興味を持ったのは、アーケードゲーム「三国志大戦」がきっかけです。当時はゲームセンターに通いつめました!まだまだ中国史について勉強中ですが、精いっぱい面白いことを探してお伝えしたいと思っています。

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