三国志の中で大きくなった国には必ず優れた軍師がいました。魏の司馬懿や荀彧、蜀の諸葛亮や龐統、呉の周瑜や陸遜。
しかし、その国が大きくなる前に滅んでしまったために、あまり評価されていない有能な軍師もいます。その代表が陳宮です。天下無双の呂布を支えた陳宮は、上に挙げた一流の軍師に仲間入りしてもおかしくない人物でした。そんな天才軍師陳宮とはどのような人生を生きたのでしょうか。
曹操の軍師だった陳宮
陳宮は字を公台といい、東郡の武陽県に生まれました。黄巾の乱が起きると、陳宮は軍師として曹操を支えていきます。正史の三国志で陳宮は、黄巾賊に敗れて戦死した劉岱に代わって、曹操が兗州の州牧の地位につくための根回しをしています。
ところが『三国志演義』の陳宮はすぐに曹操の元を離れています。董卓の追ってから逃れていた2人は、呂伯奢にかくまってもらいます。しかし、呂伯奢は酒を買ってくるといって外出したままなかなか帰ってきません。
不信に思った曹操と陳宮が家の人たちの会話に聞き耳を立てると、
「早く殺せ」
という不穏な言葉が聞こえてきました。呂伯奢に騙されたと思った2人はあっという間に家の人たちを殺したのですが、実は彼らはもてなしのためのイノシシをさばこうとしていたことがわかります。
まずいことをしたとその場から逃げた曹操と陳宮でしたが、家に戻ってきた呂伯奢とばったり出くわします。なんとかごまかしてやりすごすと、忘れ物をしたからと陳宮に先に行くよう言うと曹操は来た道を引き返していきました。
しばらくして合流した曹操に何を忘れたのかと陳宮がたずねると、曹操はなんということもないように呂伯奢を殺してきたと答えたのでした。家族を殺された恨みで董卓に知らされては困るから殺してきたというのです。陳宮はただでさえ勘違いで家族を殺してしまったことに罪悪感を抱いていたのに、自分のために手段を選ばない曹操に得体のしれない恐怖を感じます。陳宮はここで曹操を見限り、行動を別にしたのでした。
天才軍師と天下無双
この三国志演義ほど劇的なできごとがあったわけではないようですが、陳宮が曹操を見限ったのは事実のようです。正史の三国志では曹操に兗州の留守を任されると、張邈とともに反乱を起こします。
陳宮の働きかけによって、兗州は荀彧や程昱などを除いたほとんどの太守や県令が反乱に加わりました。そして呂布を兗州牧に迎え入れたのでした。このときから陳宮は呂布の片腕となったのでした。
軍師の枠に収まらなかった悲しい才能
曹操のときも呂布のときも、陳宮は彼らのために勢力の地盤固めをするために自ら精力的に動き回り働きかけをしています。陳宮の政治家としての能力の高さも表しています。
軍師というと一歩後ろに下がったところから君主に助言をするイメージがありますが、陳宮の場合は自分の能力を積極的に発揮して自軍を勝利に導こうとするタイプだったようです。陳宮が曹操ではなく呂布を選んだのも、もしかして自分の頭脳なら軍師としてコントロールする自信があったのかもしれません。
ところが呂布も歴戦を潜り抜けてきた自負があります。陳宮の考えた策を採用しないことも少なくありませんでした。2人の関係はそれほど良好だったわけではなかったようです。それがはっきり表れたのが郝萌の反乱のときでした。
この反乱は高順によって鎮圧されますが、黒幕は陳宮だったようです。処罰したときの影響を考えてか呂布は不問に付しますが、陳宮としては自分が思うように動かせる君主ではないと判断した結果なのかもしれません。
結局、曹操に下邳の城に追い込まれたときも、陳宮は挟み撃ちで一発逆転する「掎角の勢」という計略を考えますが、呂布は妻の厳氏に泣きつかれてこの策をスルー。曹操の大軍に包囲されて、呂布軍は逃亡兵が相次ぎます。
どうすることもできないまま時間が流れるうちに、候成、魏続、宋憲たちが曹操軍に投降することを決意。彼らは軍師の陳宮を捕縛して曹操に下ったのでした。
そして呂布もそのすぐ後に降服します。曹操は縄に縛られた陳宮にこう言います。
「自分の才能にあれほど自信を持っていた君が、どうしてそんな格好をしているのか」
「それはこの男が私の助言を聞かなかったからだ。私の策を聞き入れていれば、こんな状態にはなっていない」
曹操は陳宮の才能を惜しんで、自分の配下としてまた働くようすすめますが、陳宮はこれを拒否して、望み通り処刑されたのでした。三国志の名だたる他の軍師にも負けない才能を持ちながら、自分の君主を勝利に導けなかった陳宮。それは自分には国を動かすだけの力を持っているという自信があったために、軍師の枠を越えた働きをしようとしてしまったことが彼の欠点だったのかもしれません。
三国志ライターたまっこの独り言
陳宮は君主にも軍師にもなりきれなかった天才だと言えます。諸葛亮や司馬懿、周瑜ほどの活躍ができなかったのは、軍師の立場を越えたところでも自分の能力を発揮しようとしたからではと私は思ってしまいます。
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