特に三国志演義ではそこから義理や忠義を重んじて曹操ではなく、漢に降るなどの3つの条件を取り付けたり、官渡で顔良と文醜を斬って曹操に恩を返す、五関六将を破って劉備の元へ帰ると関羽の見せ場とも言えるシーンが満載。
しかし、ここでついつい考えてしまうのが異なる結末です。例えばゲームなどでは関羽が曹操の元へ留まったらというifシナリオがありますが、今回はそれに習って関羽が曹操の元に残ったら魏はどうなっていたのかを考えてみたいと思います。
関羽と曹操の最強タッグ
曹操といえば異常なほど関羽に惚れ込んだ人物。関羽が投降した後も偏将軍や漢寿亭候の爵位を授けていますし、様々な恩賞を与えて劉備の元に返さないように画策したほどです。
恐らく関羽が劉備の元へ帰らなかったとしたら非常に喜んで重宝したことでしょう。人を使うのが上手かった曹操と早い段階で劉備の独立部隊として働いていた万能な関羽が組めば正に鬼に金棒。
とはいえ、武将一人の力で大きく歴史が変わるとは考えられません。せめていくつかの戦の結果が変わったくらいではないでしょうか。
あるいは劉備が荊州を領有できない、あるいは益州を獲得した後すぐに孫権が荊州を奪うなど勢力図には多少の変化があったかもしれません。しかし、これは関羽がおとなしく曹操に従っていた場合の話です。
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関羽は曹操を恨んでいた?
実は関羽は曹操を恨んでいた可能性があります。
なぜなら、劉備と曹操が呂布を攻め滅ぼした際、関羽は呂布の配下だった秦宜禄の妻の杜氏を娶りたいと曹操に願い出て許可を得たものの、後に杜氏の美しさに惹かれた曹操が約束を反故にして自らの側室としているためです。
一度は娶っていいと許可をもらったことを考えても関羽は面目を潰されているわけで、少なからず恨みはあったでしょう。そんな恋敵がいくら高待遇で誘ってきても留まるはずがありません。
また、曹操は後に杜氏との間に子供を何人も儲けていますが、曹操の元に留まれば嫌でもそういった話が入ってきます。ましてや関羽が曹操に降ったのは、呂布を滅ぼした2年後と時間もそれほど経過していません。
そのため、関羽が何かしらの理由で完全に曹操に降ったとしても、どこかのタイミングで不満が爆発して曹操を殺すことを画策したはずです。それが成功するかは別にしても曹操やその配下たちは大いに動揺するでしょうし、それに乗じて他の勢力が攻めてくる可能性もあるので、関羽と曹操が仲良く手を組むようなことは起きなかったと筆者は考えています。
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もしも曹操が魏の武将だったら
関羽が曹操に降り、そのまま魏の武将となっていたらどうなっていたのでしょうか。魏を建国するのが史実通り曹丕であるならば、おそらく関羽はお払い箱になっていたでしょう。
そもそも魏は人材が豊富で、戦に長けた人物も内政が得意な人物も数え切れないほどいます。関羽は曹操に見込まれただけで、万人が評価していたわけではありません。
そうなると曹操の死後は当然冷遇されるはずです。仮に貴族などで後ろ盾があるならそれなりの役職には就けたと思いますが、それもない関羽は恐らく飼い殺されて終わりでしょう。
結局のところ、関羽は劉備の配下として三国にとっての要地である荊州を任されていたからこそ曹操も孫権も驚異に感じていただけで、そういった状況が伴わなければ一般レベルか、それより少し上くらいの評価しかなかったのです。
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関羽が孫権に降っていたら
三国志演義では襄陽での敗戦後、関羽は孫権軍の捕虜になります。その際に孫権は関羽を懐柔できないかと画策をしていますが、仮にこれが成功していたらどうなっていたでしょうか。
恐らく関羽は呂蒙や陸遜らと共に再び荊州の守備をすることになったはずです。曹操は関羽を驚異と感じているので、北への備えとして使う分には十分な効果を発揮します。
また、劉備に対しての牽制としても有効です。関羽自身も特別な感情があるので、劉備軍とはまともに戦えなかったと思いますが、劉備も同様なのであえて荊州を攻めることはしないように思います。
そして孫権軍は荊州と合肥方面から同時に魏領内に侵攻。ただ、結局は国力で大きく遅れを取っているので、呉の領土が多少広がったとしても大局には響かなかったでしょう。
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三国志ライターTKのひとりごと
劉曄は関羽に対して小国である蜀にとって唯一の名将という評価を下しています。ポジティブに捉えれば関羽は蜀の中で一番凄い人物であったと考えられますが、大国である魏からすれば関羽程度は掃いて捨てるほどいるとも取れるのではないでしょうか。
そう考えると関羽は魏に仕えたとしても頭角を表すことはできず、現在のように神格化されることもなかったはずです。関羽の魅力とはあくまでも弱小勢力だった劉備のもとにいてこそ光るものであり、だからこそ曹操や孫権など他勢力が価値を感じたというのが筆者の見解です。
みなさんはどうお考えになるでしょうか。
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