突然ですが、三国志の登場人物で誰が一番好きでしょうか?
このように聞いてみると曹操、劉備、諸葛亮などなど様々な英傑たちの名が挙がると思います。
しかし、筆者は三国志の登場人物のうち、張遼を最も推したいと思います。なぜ筆者が数ある英傑たちよりも張遼が好きなのか、張遼の魅力とはなんなのか、この記事で解説していきたいと思います。
この記事の目次
張遼の魅力その1:三国志屈指の武勇
三国志には「名将」「猛将」というべき武将たちがそれこそ綺羅星のごとく登場します。しかし、そんな三国志の名将たちの中でも、張遼の武勇とその功績は他の名将・猛将たちに一切引けを取るものではありません。
張遼は元々呂布の部下として各地を転戦しており、呂布配下の将軍たちの中でも際立った働きを見せていました。
曹操が呂布を捕えた際には、呂布・陳宮・高順らを処刑した一方、張遼は自らの配下に加え、何と昇進までさせています。つまり、張遼の武勇には敵の曹操までも惚れ込んだほどなのです。
張遼の最大の武勲といえば合肥の戦いでしょう。張遼が呉との国境であった合肥を守っていたところ、孫権の大軍が攻め寄せてきます。張遼はわずかな兵で真っ向から迎え撃ち、呉軍に大損害を与えて撤退させます。そして、張遼が生きているうちは、孫権率いる呉軍が魏との国境を侵すことはありませんでした。
こうした張遼の強さはあまり知られていませんが、一見地味でありながら、魏のために大きな業績を挙げたその姿はまさに「いぶし銀」の活躍といえるでしょう。
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張遼の魅力その2:思慮分別ある猛将
張遼は強いだけの猪武者ではありません。きちんと思慮分別を備えた名将といえるのです。特に三国志演義では、張遼のそうした剛毅なシーンが数多く描かれています。
例えば、呂布が曹操に捕らえられた際、呂布は曹操に対して
「俺とお主が組めば天下を取れる」と命乞いをします。
それに対し、呂布と同じく捕らえられていた張遼は、この期に及んで命乞いをする呂布を「覚悟を決めよ」と一喝し、呂布が処刑されてからは死を覚悟して曹操を罵倒します。
こうした張遼の堂々とした態度に感服した曹操は、張遼と親交のあった関羽のとりなしもあり、張遼を解放し、自らの家臣としたのです。
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張遼の魅力その3:関羽との友情
曹操に命を助けられた張遼は、呂布配下時代に親友となり、自らの命の恩人でもある関羽の命を助けるのです。
関羽の義兄である劉備が曹操に敗れ、関羽が守っていた劉備の妻子が曹操に捕らえられ、義兄の劉備も行方不明となったことで、関羽は死を覚悟して最後の戦いに打って出ようとします。
しかし、士を好む曹操は何とかして関羽を部下に加えたいと思っていました。そこで、関羽を説得する任を買って出たのが張遼でした。張遼は関羽に会い、理路整然と関羽を説得します。
張遼の説く道理に感じ入った関羽はついに曹操への降伏を決断するのです。こうして、張遼は親友であった関羽の命を救うと同時に、主である曹操のために関羽を降伏させるという大きな功績を挙げたのです。つまり、張遼はただ強いだけの武将ではなく、道理をわきまえた堂々たる好人物であり、こうした点も張遼の大きな魅力の一つとなっています。
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