諸葛恪のお話しをしようとするとどうにも彼の擁護まで至れないのが現状。しかし彼の性格はどこから来たんだと思いながら見ていると、ふと見えてきた諸葛恪の意図。
もしかして彼は父ではなく、叔父になりたかったのかな……?と思ってしまったこのきっかけ。皆さんにもちょっとお話したいと思います。
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才気煥発なお年ごろな諸葛恪
諸葛恪と言えばそう、諸葛一族の人物。
蜀の龍、魏の犬、呉のロバ……ではなく、呉の虎と言われた諸葛瑾の息子です。諸葛一族であり、諸葛瑾の息子とあって彼は才気煥発な子供でした。
とにかく良く口が回る、ある種、才能を持った彼を特に孫権は寵愛しました。関係ないけどたぶん呉の大トラは孫権ですよね。
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陸遜「その性格どうにかしろ」
さてそんな諸葛恪、諸葛瑾の息子ながら父親に似ても似つかないせいかくをしていました。
相手をとにかくやり込める、反論しないと気が済まない性格だけならまだ……まだましな方で、陸抗と任地を入れ替える際に壊れた場所を修繕しないままだったりと、何とも他人を思いやれない、そんな性格でした。それこそ皇太子相手でも言い返さずにはおれない、そんな性格であったために身を滅ぼします。
東興の戦いでの勝利(終わりの始まり)
その終わりの始まりと言うべき勝利が、東興の戦いでの勝利。ここで魏を追い返して大勝利を決めた諸葛恪、それから半年も経たないのに魏を攻めようと提案します。当然ながら反対意見が出るわ出るわ。しかしここで諸葛恪、反対意見を黙らせるべく見事な反論を返します。それをちょっとご紹介しましょう。
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諸葛恪は弁は立つ
「劉表は曹操が弱い時に軽視していたが、袁紹との戦いの後では手遅れだった」
「呉王夫差も手遅れだった」
「越も秦も小さな国であったが、それに油断して大国たちは滅ぼされた」
「魏は秦よりも巨大な敵であり、呉も蜀も小国であるが、滅ぼされないのは魏の世代交代が起こっているからで、この機会を逃したら呉は滅ぼされる」
「私は叔父の出師の表を読む度、心を動かされる」←←
さて、皆さんこれを見てどうお考えでしょうか?
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諸葛恪は正しい、けれど
そう、現状の認識として間違いではありません。もう少し言うと、魏が落ち着いてから攻めてくる、と言うのも正しいでしょう。その時になっては手遅れだから、というのもまた正しいのです。
ただ個人的に引っかかるのが、最後にわざわざ付け加えられている出師の表に関してです。もしかして諸葛恪は、叔父のようになりたかったのではないでしょうか?
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