「三国志」はいわゆる「漢民族」を中心に書かれた史書です。しかし、当時も今も中国には漢民族と習俗など生活スタイルが違う民族が多数居住していました。
彼らは時に漢民族と敵対し、時には戦力として組み込まれたりして、国家経営においては異民族対策は重要な政策でした。今回の記事では「三国志」に登場する異民族を紹介していこうと思います。
この記事の目次
三国志に登場する異民族一覧
正史「三国志」には様々な異民族が登場しますが、主な異民族を一覧にまとめてみました。
異民族名 | (読み) | 現在の場所 | 代表的人物 | (読み) | |
1 | 烏丸 | (ウガン) | 内モンゴル自治区 | 蹋頓 | (トウトン) |
2 | 鮮卑 | (センピ) | 内モンゴル自治区 | 軻比能 | (カビノウ) |
3 | 匈奴 | (キョウド) | モンゴル高原全域 | 於夫羅 | (オフラ) |
4 | 氐 | (テイ) | 青海省周辺 | 千万 | (センバン) |
5 | 羌 | (キョウ) | 青海省周辺 | 馬騰 | (バトウ) |
6 | 山越 | (サンエツ) | 江蘇省南部 | 厳虎 | (ゲンコ) |
7 | 西南夷 | (セイナンイ) | 四川省南部〜雲南省 | 高定 | (コウテイ) |
次項から各異民族について解説を致しますね。
1.袁紹と組み、曹操と戦う「烏丸」
秦の時代に今の内モンゴル周辺に「東胡」と言われる民族がいました。その東胡は匈奴に滅ぼされ、「烏桓山」に逃げた人々は「烏桓(鳥丸)族」、「鮮卑山」に逃れた人々は「鮮卑族」を形成したといいます。
後漢末期に登場した「蹋頓」は袁紹と協力し、「公孫瓚」を滅ぼし、曹操に敗れた袁紹の息子「袁尚」をかくまうなどしました。しかし、のちに曹操に敗れ、烏丸の兵士たちは曹操軍に取り込まれました。烏丸の兵は「騎射」(馬上で弓を使うこと)を得意とし、大きな戦力になったといいます。
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2.魏と深い関係「鮮卑」
先述の「烏丸」と同じく、匈奴に滅ぼされた東胡の「鮮卑山」に逃げた末裔が「鮮卑」と言われています。烏丸と同じく遊牧騎馬民族で、漢の時代から度々長城を越え、略奪などを行い、漢の討伐の対象になっていました。
「三国志」の時代には「軻比能」という「大人(部族長)」が登場し、魏と争い、時には和解し、王に封じられるなど時には味方、敵になりと深い関係を築いていました。鮮卑は実に様々な部族に別れ、お互い離別や集合を繰り返していましたが、最終的には南北朝時代に「北魏」が多くの部族を統一しました。
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3.古い時代から中国を脅かす「匈奴」
「匈奴」はモンゴル高原を根拠とする騎馬民族です。紀元前の「周」の時代から史書に名前が見られ、中国の王朝は彼らとの対応に苦慮していました。
漢の武帝の時代には激しい戦いが何度も行われ、小説で有名な漢の武将「李陵」も匈奴に捕らわれるなどしていましたが、部族間の争いが激しくなり、徐々に勢力は衰えます。漢末から三国志の時代には徐々に中国に取り込まれ、戦乱に兵士として匈奴が参加することもありました。
後漢末期の「単于(王のこと)」の「於夫羅」は袁紹、袁術などと争い、最終的には曹操に帰順しています。
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4.馬超とともに魏と戦う「氐」
現在の青海省に住んでいた、チベット系ともいわれる遊牧民族です。前漢の時代に武帝に敗れ、山間部に暮らすようになったといいます。
211年、氐の部族、「百頃」の王「千万」は馬超と組み、曹操と戦いますが敗れ、蜀に逃亡しました。
その後は中国の戦乱の中、「前秦」など氐の国家が立てられるなどしましたが、それらの国家は滅亡し、最終的には漢に同化されていきました。
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