敵対!時には戦力に。「三国志」に登場する異民族たち!


 

はじめての三国志コメント機能バナー115-11_bnr1枠なし

山越族(異民族)

 

三国志」はいわゆる「漢民族」を中心に書かれた史書です。しかし、当時も今も中国には漢民族と習俗など生活スタイルが違う民族が多数居住していました。

 

山越族から信服される黄蓋

 

彼らは時に漢民族と敵対し、時には戦力として組み込まれたりして、国家経営においては異民族対策は重要な政策でした。今回の記事では「三国志」に登場する異民族を紹介していこうと思います。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


【誤植・誤字脱字の報告】 バナー 誤字脱字 報告 330 x 100



【レポート・論文で引用する場合の留意事項】 はじめての三国志レポート引用について



三国志に登場する異民族一覧

鳥丸族侵入に頭を悩ます曹操

 

正史「三国志」には様々な異民族が登場しますが、主な異民族を一覧にまとめてみました。

 

異民族名 (読み) 現在の場所 代表的人物 (読み)
1 烏丸 (ウガン) 内モンゴル自治区 蹋頓 (トウトン)
2 鮮卑 (センピ) 内モンゴル自治区 軻比能 (カビノウ)
3 匈奴 (キョウド) モンゴル高原全域 於夫羅 (オフラ)
4 (テイ) 青海省周辺 千万 (センバン)
5 (キョウ) 青海省周辺 馬騰 (バトウ)
6 山越 (サンエツ) 江蘇省南部 厳虎 (ゲンコ)
7 西南夷 (セイナンイ) 四川省南部〜雲南省 高定 (コウテイ)

 

次項から各異民族について解説を致しますね。

 

 

1.袁紹と組み、曹操と戦う「烏丸」

烏桓族

 

秦の時代に今の内モンゴル周辺に「東胡(とうこ)」と言われる民族がいました。その東胡は匈奴に滅ぼされ、「烏桓山」に逃げた人々は「烏桓(鳥丸)族」、「鮮卑山」に逃れた人々は「鮮卑族」を形成したといいます。

 

烏桓族も裴潜(はいせん)に従っているシーン

 

後漢末期に登場した「蹋頓」は袁紹(えんしょう)と協力し、「公孫瓚(こうそんさん)」を滅ぼし、曹操(そうそう)に敗れた袁紹の息子「袁尚(えんしょう)」をかくまうなどしました。しかし、のちに曹操に敗れ、烏丸の兵士たちは曹操軍に取り込まれました。烏丸の兵は「騎射」(馬上で弓を使うこと)を得意とし、大きな戦力になったといいます。

 

関連記事:曹操、生涯最大の苦戦 白狼山の戦い|烏桓討伐編

関連記事:3138名に聞きました!義理堅い異民族と言えば?三国志の歴史を彩ってきた民族達

 

曹操孟徳

 

 

2.魏と深い関係「鮮卑」

鮮卑賊

 

先述の「烏丸」と同じく、匈奴に滅ぼされた東胡の「鮮卑山」に逃げた末裔が「鮮卑」と言われています。烏丸と同じく遊牧騎馬民族で、漢の時代から度々長城を越え、略奪などを行い、漢の討伐の対象になっていました。

 

鮮卑大人、育延

 

「三国志」の時代には「軻比能」という「大人(部族長)」が登場し、魏と争い、時には和解し、王に封じられるなど時には味方、敵になりと深い関係を築いていました。鮮卑は実に様々な部族に別れ、お互い離別や集合を繰り返していましたが、最終的には南北朝時代に「北」が多くの部族を統一しました。

 

関連記事:鮮卑族は敵?味方?くっついたり離れたりする異民族を解説

関連記事:三国志に出てくる鮮卑族ってどんな民族?

 

はじめての漢王朝

 

 

3.古い時代から中国を脅かす「匈奴」

漢帝国の宿敵で匈奴の名君(匈奴族)

 

「匈奴」はモンゴル高原を根拠とする騎馬民族です。紀元前の「周」の時代から史書に名前が見られ、中国の王朝は彼らとの対応に苦慮していました。

 

李陵

 

漢の武帝(ぶてい)の時代には激しい戦いが何度も行われ、小説で有名な漢の武将「李陵(りりょう)」も匈奴に捕らわれるなどしていましたが、部族間の争いが激しくなり、徐々に勢力は衰えます。漢末から三国志の時代には徐々に中国に取り込まれ、戦乱に兵士として匈奴が参加することもありました。

 

袁術

 

後漢末期の「単于(ぜんう)(王のこと)」の「於夫羅」は袁紹、袁術(えんじゅつ)などと争い、最終的には曹操に帰順しています。

 

関連記事:匈奴に備えて作った万里の長城のセキュリティって万全だったの?

関連記事:匈奴とは何?彼らと三国志の繋がりについて解説

 

袁術祭り

 

 

4.馬超とともに魏と戦う「氐」

祁山、街亭

 

現在の青海省(せいかいしょう)に住んでいた、チベット系ともいわれる遊牧民族です。前漢の時代に武帝に敗れ、山間部に暮らすようになったといいます。

 

蜀馬に乗って戦場を駆け抜ける馬超

 

211年、氐の部族、「百頃(ひゃくけい)」の「千万」は馬超(ばちょう)と組み、曹操と戦いますが敗れ、蜀に逃亡しました。

 

その後は中国の戦乱の中、「前秦」など氐の国家が立てられるなどしましたが、それらの国家は滅亡し、最終的には漢に同化されていきました。

 

関連記事:馬超や曹操と因縁が深い氐族(ていぞく)

関連記事:馬超が長生きしていたら歴史は変わった?北伐のifストーリーを考えてみた

 

馬超特集

 

【次のページに続きます】

 

次のページへ >

  • この記事を書いた人
  • 最新記事
みうらひろし

みうらひろし

歴史が好きになったきっかけはテレビの再放送で観た人形劇の三国志でした。そこから歴史、時代小説にはまり現在に至ります。日本史ももちろん好きですよ。推しの小説家は伊東潤さんと北方謙三さん。 好きな歴史人物: 呂蒙、鄧艾、長宗我部盛親 何か一言: 中国で三国志グッツを買おうとしたら「これは日本人しか買わないよ!」と(日本語で)言われたのが思い出です。

-三国志の雑学
-, , , ,