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馬超は使い勝手がかなり悪い武将だった「三国志とりかへばや物語」

2022年3月31日


 

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蜀馬に乗って戦場を駆け抜ける馬超

 

馬超(ばちょう)と言えば錦馬超とも言われたイケメンであり、武勇に優れた北部の雄。

 

曹操を絶対殺すマンとしてなった馬超

 

悪漢、曹操(そうそう)に理不尽にも一族を奪われ、その復讐に立ち上がるも運命の悪戯か上手く行かず、流浪の果てに正義の使徒は仁徳の人、劉備(りゅうび)と出会い、居場所を手に入れ……というとかなり三国志演義(さんごくしえんぎ)の補正が強すぎでしょうか。

 

実際には結構やりたい放題というか、暴れん坊な印象が強い馬超ですが……そんな馬超を別の武将ととりかへばや(トレード)するならどうなる? 馬超とりかへばや、考えてみましょうか。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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本当は因果応報な馬超

馬超をフルボッコする閻行

 

馬超は正史三国志(せいしさんごくし)と三国志演義ではだいぶ印象が違う武将の一人です。まず三国志演義では曹操に一族を殺されて立ち上がりますが、正史ではこれが逆転……というか、三国志演義が正史とは逆転していると言った方が良いでしょうか。

 

馬騰と曹操

 

まず色々あって馬超の父、馬騰(ばとう)が入朝。曹操が張魯(ちょうろ)に攻撃。涼州(りょうしゅう)に残っていた馬超、次はこっちを攻撃されると不安。

 

馬超と韓遂

 

韓遂(かんすい)と手を組んで曹操と戦う。敗北。一族が曹操に殺される。

 

処刑を下す曹操

 

これが正史の流れです。

 

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その後も度々反乱を起こすがいいとこなし

蜀では結果が出せない馬超

 

その後、馬超は羌族(きょうぞく)を率いて群雄割拠(ぐんゆうかっきょ)の時代らしく隴上で蜂起。そこで冀城の涼州(りょうしゅう)刺史が降伏したにも関わらず、一族殺害。この際にその部下たちをそのまま配下に加え入れたために、後に反乱を起こされます。最終的に血で血を洗うようなお互いの親族殺し合いが行われ、馬超は張魯の所に落ち延びました。

 

劉備軍に降伏する馬超

 

この後、張魯の部下たちと上手く行かず、結局劉備の所まで行くことになりました。

 

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馬超特集

 

 

馬岱と共に劉備の世話になる

漢中王になる劉備

 

さて劉備の元に行った馬超、劉備には厚遇されたとされていますが、その後はどうしていたかは分かりません。漢中でも戦いの記録はありますが目立った活躍はなく、最終的には劉備が皇帝になって蜀漢を建国後に驃騎将軍となり、47歳で亡くなりました。

 

ボロボロになった馬超

 

因みに臨終の際に「一族は曹操にだいたい殺されたけど従弟の馬岱(ばたい)がいるのでよろしくお願いします」と劉備に頼んでおり、三国志演義ではこの馬岱がこの後かなり活躍(そして苦労する)ことになるのも有名ですね。

 

「ここにいるぞ!」と言いながら魏延を切る馬岱

 

こういった経緯は三国志演義では省かれたり、脚色されたりとされており、馬超は三国志演義の中でもかなり演義恩恵を受けている存在と言えるでしょう。そんな馬超をとりかへばやしてみるなら……どうなるでしょうか?

 

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蜀漢の滅亡

 

 

部下で魏に降伏した龐徳と交換

ホウ徳(龐徳)

 

龐徳(ほうとく)は馬超の父、馬騰配下でしたが、馬超の配下となり、馬超が張魯の元に行った際に取り残されたか離れたかあるなどの紆余曲折を経てから曹操配下になりました。

馬超と別れるホウ徳

 

ホウ徳自身もその活躍は少ないものの、曹操配下として最期に関羽(かんう)との奮戦、その潔くも壮絶な最期から正史に記録され、三国志演義でも描写されていることは皆さまご存知の通り。馬超がもしホウ徳のように張魯の元に留まり、なんやかんやで曹操の配下となれば、もしかしたら、もしかしたら壮絶な最期を迎えられたかもしれません。

 

ホウ徳

 

ホウ徳もホウ徳で蜀では取り立てられ、もしかしたら夷陵(いりょう)の戦いなどでも奮戦する姿が見られたのではないでしょうか。ほんの少しですれ違った運命の二人のとりかへばやの結末、見てみたいですね。

 

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三国志とりかへばや物語

 

 

主君を変えた似たモノ同士の張郃とトレード

張コウ 張郃

 

色々あってやってきた武将、ということで(ちょう)コウと馬超のとりかへばやは如何でしょう?張コウは劉備も恐れた名将、じっくりと、しかし慎重に戦いを進めるかの武将は蜀でもいぶし銀な活躍を見せてくれることでしょう。

 

呂布を受け入れる劉備

 

劉備も馬超までとは行かずも、厄介な張コウが仲間になってくれれば喜ぶのではないでしょうか!

 

曹操を絶対殺すマンとしてなった馬超

 

逆に馬超はどうでしょうか……うーん挙げては見たものの張コウとはタイプが違いすぎますからね……

 

司馬懿

 

ただ生き残れれば曹真(そうしん)司馬懿(しばい)が上手く使うと思いますし、ホウ徳と一緒に関羽と壮絶に戦う最期を迎える可能性も生まれ、正史のような寂しめの最期ではなくなるかと思います。

 

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ぐっすり眠れる!ながら三国志

 

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両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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