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張魯は負け組だけど曹操を感心させ天寿を全うした有能な政治家だった

2022年5月30日


 

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周瑜、孔明、劉備、曹操 それぞれの列伝・正史三国志(本)書類

 

三国志(さんごくし)には三国それぞれの「書」があり、各国の名高い人物たちの歴史を読み取ることができます。

 

 

魏志(魏書)_書類

 

その中でも圧巻の人数を誇るのが魏書。そして魏書の中には曹操(そうそう)の親族、部下のみならず、袁紹(えんしょう)や曹操が打ち破った強敵たちも入っているのです。今回はそんな曹操が打ち破った強敵たちの中から、漢中(かんちゅう)を治めていた人物、張魯(ちょうろ)についてお話したいと思います。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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三国志演義の張魯は強欲で器量が狭い人

五斗米道の教祖・張魯

 

まずは少しばかり趣向を変えて、三国志演義(さんごくしえんぎ)の法の張魯を紹介しましょう。三国志演義の張魯は五斗米道(ごとべいどう)という宗教の教祖でありながら、強欲であり、益州(えきしゅう)へ手を伸ばそうとしたりするなど、かなり暴君よりの人間として描かれています。

 

馬超と羊

 

また馬超(ばちょう)を庇護下に置いていたものの、三国志演義オリジナル武将で佞臣と名高い楊松(ようしょう)が買収されたことで馬超とは不和になり、馬超はそのまま劉備(りゅうび)の元に。

 

賄賂大好きな楊松

 

後に曹操が侵攻してきた際には、病気で馬超についていけなかったホウ(とく)を使うも、やっぱり楊松が曹操に買収されてホウ徳は仕方なく曹操の元に(ちょっと前に見た展開)と、佞臣(ねいしん)のことばかり聞き入れて優秀な武将である馬超やホウ徳から離反されるという人物となっています。

 

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漢のマイナー武将列伝

 

 

 

正史補正で宝物を焼かず曹操に許される

曹操に降伏する教祖・張魯

 

そして馬超は既に劉備の元に、それから頼みの綱だったホウ徳は現在交戦中の曹操の元に。こうして戦うための戦力を失うことになってしまった張魯は、逃亡を図ります。ここで一般的な逃亡というと、逃げる側が相手に何も渡さないように宝物庫などに火をかけて行くのですが、張魯はこれらを封印してから逃亡を図ったのがちょっと違う所です。

 

その後に曹操に降伏することになるのですが、曹操は張魯を高く評価して鎮南将軍に任じられました。

 

泣きながら冤罪を訴えるも処刑される司馬瑋

 

因みに楊松は君主を売った人物として処刑されてしまいます……すっきり!

 

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君主論

 

 

正史の張魯は劉焉から独立し漢中を奪ったやり手

劉焉

 

では三国志の張魯を見ていきましょう。張魯の祖父は五斗米道という道教の開祖であり、あの時代に120歳以上まで生きていたと言われる最早仙人のような人でした。

 

その後は張魯の父が、そしてその後を張魯が引き継いでいたのですが、これに目を付けたのが益州の劉焉(りゅうえん)です。劉焉は宗教団体である五斗米道を取り込むことで、勢力を伸ばそうと企んだのです。が、その一方で張魯の美しい母親も劉焉に取り入り、親密になったためか劉焉自身から張魯は督義司馬(とくぎしば )に任命されることに。

 

炎上する城a(モブ)

 

その後、劉焉に漢中を攻めるように命じられた張魯、これを見事落とすと共に漢中を落とした張脩(ちょうしゅう)を襲い、兵を奪って漢中での独立を行います。劉焉の後継の劉璋(りゅうしょう)はこれに怒り、張魯の家族を処刑、何度も漢中を取り戻そうとするも張魯を破れないままでした。

 

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北伐の真実に迫る

北伐

 

 

漢中を立派に治めた張魯

兵糧を運ぶ兵士

 

さて三国志演義の張魯と言えば強欲な人物でしたが、三国志の張魯は漢中で人心を掴みます。五斗米道を使って。

 

五斗米道(はじめての三国志)

 

五斗米道は誠実がモットーという教えであり、人を欺くなどの行為を禁止し、慈善活動に勤しんだため、漢中では張魯と五斗米道は深く受け入れられ、これから20年もの間、張魯は漢中を良く治めることになります。

 

張魯の漢中王に反対する閻圃

 

また三国志演義では自ら漢寧(かんねいおう)になろうとしましたが、正史では周囲に進められるも、配下から諫められて張魯はこれを取りやめているという謙虚っぷり。

 

馬超と別れるホウ徳

 

後に、馬超の反乱で多くの民が張魯を頼るほど逃げ延びてきて、馬超自身も受け入れるも、娘を嫁がせようとした際に「馬超は人となりに問題がある(ちょっと意訳)」という、結構まっとうな意見からこれを取りやめ、後に馬超は出奔、ホウ徳らは馬超と袂を別つことになりました。

 

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一騎打ち

 

 

曹操に降伏し鎮南将軍に任じられる

赤鎧を身に着けた曹操

 

215年、ついに曹操がやってきます。初めは張魯は降伏をしようとするも弟がこれに反対、しかし曹操に打ち破られ、また降伏しようとしたところで「降伏するにしてもまずは態勢を整えてから」という意見を出され、撤退を決意。

 

曹操に降伏したくない張衛

 

この際に国庫を焼き払うという意見が出ましたが張魯は「これは国(漢王朝)のものである」と焼くことはなく、これを知った曹操は張魯に感服。曹操は降伏した張魯に鎮南将軍(ちんなんしょうぐん)の地位を与えてもてなし、また張魯が亡くなった後も五斗米道は名前を変えて現在も残っているのです。

 

 

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激動の時代を生きた先人たちから学ぶ『ビジネス三国志

ビジネス三国志

 

 

 

 

馬超の出奔は張魯のせいではない

蜀馬に乗って戦場を駆け抜ける馬超

 

ここで少し触れておきたいのが馬超の離反(りはん)の一件。三国志演義の張魯は馬超もホウ徳も信用できずに離反されてしまいましたが、三国志ではそんなことはありません。実際には張魯と馬超というよりも張魯の配下たちと馬超の折り合いが悪く、馬超が飛び出した……という経緯のようです。

 

三国志演義_書類

 

三国志演義では改編されているものの、これはそのままでは馬超の行動が仁義に欠けるように見えてしまうということもあってのことと思われます。

 

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成功した宗教家にして政治家張魯

水滸伝の包道乙 仙人

 

そんな張魯は実際には漢中を良く治めていました。そこに住む人々が張魯と五斗米道の支配を望んでいたこともあり、漢王朝自体も介入できなかったのほどです。これは少なくとも、そこに住む人々たちからすれば張魯は名君であったということでしょう。

 

霊感商法で信者を増やす張角

 

後漢末期、黄巾賊(こうきんぞく)のように宗教を基盤とする者たち、また妖術が使えると言われた者たちは何人もいましたが、張魯はその宗教を基盤として、成功した人物です。宗教家であり、政治家でもあった人物、それも同時に上手くやっていた、ある種の成功者でした。これは正史でこそ分かる張魯の姿なので、ぜひ皆さんにも知って欲しいですね。

 

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三国志ライター センのひとりごと

三国志ライター セン

 

三国志はその名の通り、三国の話。しかし三国が揃うまでに数多の英雄たちが志半ばで脱落していきました。そしてその三国も、最後には全て脱落していきます。

 

ですが五斗米道は姿を変えて、残り続けました。三国志の国々は既に亡くなりましたが、五斗米道は形を変えて残ったというのが面白いですね。こういう歴史の一幕、現代に繋がる一幕はどこか心惹かれます。三国志演義ではちょっとあんまりな扱いの張魯ですが、歴史の中で生き残った一人として……覚えて頂ければ幸いです。

 

センさんのとぷんver2

 

ちゃぽーん。

 

参考文献:魏書張魯伝 武帝紀 蜀書劉二牧伝

 

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両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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