魏の二代目皇帝、曹叡。曹丕と甄氏の息子の彼ですが、実は曹丕の子ではなかったとか、そもそも生母の甄氏への曹丕の寵愛が既に無くなっていてとか色々で、中々皇太子になれなかった人物です。
その割に皇帝になってからは意欲的に働き、魏の皇帝の中でも結構優秀だったのでは、と思う人物でもあります。
彼の母親と曹丕のあれこれは色々と言われていますので、今回は曹叡とその妻たち、特にあまり知られていない最初の妻である虞妃についてもお話をしたいと思います。
この記事の目次
母親である甄皇后の死
まずは曹叡の母親、甄皇后のお話を少し。曹丕に深く寵愛され、皇后となった甄皇后ですが、その寵愛は時が流れるにつれ薄れていきました。そして代わりに寵愛されるようになったのは後の郭皇后です。
更に追い打ちをかけるように、山陽公の娘が二人……嘗ての献帝の娘ですね、彼女たちが入内してきます。これに甄皇后は嘆いて恨み言を述べたために、曹丕は怒って死を命じたと言われています。この時に曹叡、17歳でした。
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甄皇后の死と黒い噂
しかしこの甄皇后の死、実は郭皇后の企みだったと言われています。元々、郭皇后は曹丕の屋敷の侍女をしていた所を見初められて妻となった人物でした。郭皇后は自分が皇后となるために邪魔な甄皇后を排除するため、彼女は体調を崩した時に曹丕に
「甄皇后が私を呪っているので私は体調を崩したのです」
という讒言で甄皇后を陥れたというのです。何たるあくじょ!おそろしい!
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三国志には記録はされていない「真相は不明」
……とは言え、これは三国志に記録はされていません。またそうすると曹叡にとって郭皇后は母親の敵になりますが、曹叡が即位してから郭皇后は何をされたという記録もなく、皇太后の称号を贈られてもいます。
更に言うと郭皇后は八年後に亡くなりますが、その遺言通りに陪葬されたとあります。このため甄皇后と郭皇后の間に何かあったかどうかは、不明のままという訳です。
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曹叡の妻・毛皇后
次は曹叡の妻に移りましょう。曹叡の最初の皇后になったのは毛皇后です。面白いことにこの女性、元々は曹叡の屋敷の侍女をやっていた女性でした。そこを曹叡が見初めて妻にして、皇后にまでしてしまったという訳です。どこかで聞いたような話ですね?
とは言えこの毛皇后、曹叡から受けていた寵愛は次第に薄れていきます。そして次に寵愛されたのが、後の郭皇后という訳です。……どこかで聞いたような話ですね?
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最初の妻、虞妃
さて、曹叡には妻がおりました。最初の正室の名は虞氏という女性です。この女性を正室に、平原王になっていた曹叡が見初めたのが毛氏です。ですが皇帝になった曹叡は、この正室である虞妃を皇后に立てず、側室の毛氏を皇后にしてしまったという訳です。虞妃についての記録は殆どないので分かりませんが、後の言葉からそれなりの身分であったと思われます。
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卞皇太后に虞妃が言った言葉とは?
皇后に立てられず、元々は侍女をしていた女性に寵愛を奪われた虞妃。彼女を哀れに思ったのか、卞皇太后が慰めに行きました。そうした卞皇太后に虞妃が言ったのが、下記の言葉(一部抜粋)です。
「どうやら曹家の殿方は、身分の卑しい女性を皇后にすることを好むようですね」
つまり曹操の妻である卞皇后、曹丕の郭皇后、そして曹叡の毛皇后のことですね。……それはそうなんですけど、目の前にいる人をそう言ってしまうのは如何なものでしょうか。一応、卞皇太后は慰めに来てくれているのですが……。
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悲劇は繰り返す
その後、虞妃は廃されて宮廷を去ることになります。しかし毛皇后の栄華もまた続かず、曹叡の寵愛は豪族の娘である郭氏に移り、除け者にされるようになった毛皇后から恨み言を言われた曹叡は怒り、毛皇后は死を賜りました。
そして曹叡の皇后になったのが郭皇后です。曹丕の郭皇后と殆ど同じ流れになったのは何の因果でしょうか。そして宮廷を去った虞妃はこれを聞いて何を思ったでしょうか。色々と言われる甄皇后と郭皇后ですが、曹叡の時代の毛皇后と郭皇后、それに虞妃もまた、負けないくらいにドロドロしているなぁ……と思った筆者でした。
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三国志ライター センのひとりごと
後宮と言えば女の争いは付き物……とは思いますが、愛が薄れてしまって何かが起これば命さえ奪われることもある、と思うと争いも生まれるということでしょうか。しかし親子そろって今までの皇后を捨てて郭皇后を選ぶというのは不思議な因果を感じますね。
でもこれを見ていくと曹操の時代は、そこまで争いが起きずに良くまとまっていたのだなと思いますね。そう考えると何だか筆者の中で卞皇后の評価が更に上がってしまう次第でした。
どぼーん。
参考文献:魏書明帝紀 明悼毛皇后伝 魏略
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