3000年の興亡の歴史を持つ中国は軍師の宝庫でもあります。
ざっと歴史を俯瞰して名前を上げるだけでも、太公望、管仲、楽毅、
范増、陳平、張良、東邦朔、李需、田豊、周兪、孔明、徐庶、龐統と大豊作です。
劉邦のように、張良と陳平という二人の軍師を使いこなしたケースも
あれば、項羽や袁紹のように、范増や田豊というたった一人の軍師も
使いこなせないケースもあります。
この中から最強の軍師を選ぶと言っても時代が違うと比較が困難なので
今回は魏・呉、蜀の三国時代の後半を彩る軍師、
諸葛亮孔明と司馬懿仲達を比較して見ようと思います。
三国志演義の特徴
三国志演義では、孔明が主役で悪役が司馬懿になっている事もあり、
孔明の神懸かり的な計略に翻弄され、辛うじて逃げ切る司馬懿ですが、
もちろん、これはフィクションの面が多いのが事実です。
孔明は乏しい国力を駆使して、5回に渡る北伐を敢行して魏を攻め
これを司馬懿は迎え撃って撃退しています。
一見すると司馬懿は北伐軍に対して防戦一方に見えますが、孔明と違い、
国力が充実している魏は、急いで蜀を攻略する必要がありませんでした。
だから、司馬懿も蜀軍の進行を食い止めさえすればそれで良く、
これを打ち破る必要は全く無かったのです。
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当時の魏・呉・蜀の国力
当時の魏・呉・蜀の戦力を見ると、魏の人口が800万であるのに対し
呉は200万人、蜀に至っては100万人という規模でした。
しかも、魏は曹操の尽力で国力が整い、人材はどんどん登用され、
時が過ぎれば過ぎる程、魏と他の2国の国力差は開いていきます。
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孔明がしつこいくらい北伐を行った理由
孔明の北伐の真の狙いは放置すれば、国力差が取りかえしのつかないレベルに
達する事を恐れた孔明の魏の国力を削ぐ為の防衛措置だったのです。
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孔明と司馬懿の役職の違い
一方の孔明が蜀の承相(総理大臣)として蜀の権力を最大限に動員できたのに
対して、司馬懿は、実は宰相にさえなっていない文官の立場でした。
こうして見ると、遂に魏を落とせなかった孔明より、魏を守備して、
蜀の侵攻を阻止した司馬懿が軍師としては優れていると言えます。
しかし、前述した通り、蜀の人口は、魏の8分の1に過ぎませんでした。
先進地域である魏と田舎の蜀では国力差は10倍以上はあったでしょう。
更に人材豊富な魏に較べて、蜀には、無能の代名詞である劉禅が皇帝と
して君臨し、孔明が後継者として頼む人材は僅かしかいません。
孔明は、アホな君主を支え、多くの仕事を自分で決済して、
その為に寿命を縮めたとも言われています。
もし司馬懿と孔明の立場を入れ替えたら
もし、司馬懿が孔明の立場であり、孔明が司馬懿の立場なら、
司馬懿は五度に渡る北伐など到底不可能だったでしょう。
こうして考えると個人としての資質は、孔明が司馬懿を大きく
上回っていたと考えられます。
司馬懿は後に、魏の権力の中枢を掌握して、魏の曹一族を廃し、
孫の司馬炎の時代に、魏は滅ぼされ晋が建国されます。
孔明はそのような野心とは無縁で、アホな劉禅を支え続け、
皇帝になれるチャンスは何度もありながら劉備との約束を守り続け
235年に自ら北伐に進出して五丈原で没します。
軍師の資質に人間性の高潔さは余り関心がありませんが、
こういう性格の潔さも司馬懿より孔明に人気が集まる原因でしょう。
そういう訳で個人的には、3対7で諸葛孔明を中国史上最大の軍師に
推したいと思います。
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この記事を書いた人:kawauso
自己紹介:
三度の飯の次位に歴史が大好き
10歳の頃に横山光輝「三国志」を読んで衝撃を受け
まずは中国歴史オタクになる。
以来、日本史、世界史、中東、欧州など
世界中の歴史に興味を持ち、
時代の幅も紀元前から20世紀までと広い。
最近は故郷沖縄の歴史に中毒中、、