涪水城が、龐統(ほうとう)の計略で落ちた事を知った
劉璋(りゅうしょう)は大慌てします。
こうなっては、成都城を守るのは、雒(らく)城のみだからです。
しかし、頼りにならない劉璋配下の武将の中には、
とびきりの名将が存在していました、それが張任(ちょうじん)です。
前回記事:89話:龐統、涪水関を計略で落とす
この記事の目次
劉璋軍の名将:張任(ちょうじん)の策略
張任:「劉備(りゅうび)如き泥棒猫、何ほどの者でしょうや、、
この張任が、必ず討ちとってご覧にいれましょう」
張任は、劉璋に大見得を切ると出陣し、雒城の手前の
落鳳坡(らくほうは)という細い道に伏兵を仕掛けます。
劉備が白馬に乗っているのは調査済みなので、
白馬が現れた瞬間に矢の雨を降らせてしまおうというのです。
そして、劉備の白馬が通るや否や、伏せていた張任の兵は
雨あられと矢を放ちます。
張任:「やった、劉備を仕留めたぞ!!」
喜び勇んで、姿を現す張任ですが、ハリネズミになって、
落馬していたのは、劉備ではなく龐統でした。
何で龐統が劉備の白馬に乗っていたの?
実は、龐統の馬は、進軍の途中に足を挫いていて、
それを見た劉備が自身の白馬を龐統に貸していたのです。
つまり、龐統は、劉備の身代わりで戦死してしまいました。
亨年、36歳、ようやく鳳凰の片鱗を現し始めた矢先の死でした。
龐統が命を落としたのは、落鳳坡、皮肉にも鳳凰が落ちるという地名、なんとも皮肉な話です。
張任は、劉備を討ち取れなかった事で舌うちしますが、
軍師の龐統を討ったのをチャンスと攻勢に転じます。
龐統を失った劉備軍は大苦戦
龐統を失い、また慣れない土地での戦闘という事もあり、
劉備軍は、一転して大苦戦します。
張任は勇猛ですし、劉璋軍は後が無いので死にもの狂いです。
幸いに、黄忠(こうちゅう)と魏延(ぎえん)が、踏みとどまり、
張任に対抗したので、劉備軍は、総崩れを免れ、何とか涪水城まで逃げのびます。
一息ついた所で、劉備に龐統の死が知らされました。
劉備:「ああ、何と言う運命のイタズラ、龐統はワシの身代わりに、
死んでしまったというのか、、」
劉備は声を上げて泣き、龐統の死を悼みました。
しかし、劉備に悲しんでいるヒマはありませんでした。
孔明は龐統の死を予感していた
涪水城を包囲した、張任の軍勢を防ぎつつ、
劉備は、荊州の孔明に、龐統の死を伝えて、援軍を仰ぎます。
荊州にいた孔明は、北極星の下を巨星が流れたのを見て、
すでに龐統の死を予感していました。
劉備の使者・関平が孔明に龐統の死を告げる
そこに、劉備の使者、関平(かんぺい)が現れ、
龐統が劉備の身代わりで死んだ事を報告
改めて、親友の死を知らされ、孔明は涙したのです。
孔明:「士元、、これから、これからという時に君は天に帰ってしまうのか、、
私は、片腕をもがれたような気分だよ、、」
ですが、今後、ただ一人で劉備を支える事になった孔明には、
尚更に、悲しむ暇はありませんでした。
こうして、孔明は荊州には関羽(かんう)を残し、
張飛(ちょうひ)と趙雲(ちょううん)を連れて劉備の援軍に向かうのです。
龐統の死が孔明の負担を重くした
劉備の身代わりとして、龐統が死んだというのは演義の脚色ですが、
龐統が雒城の混戦で射殺されたのは事実です。
実質、用兵の才では孔明を上回っていた龐統が死んだ事は、
孔明の負担を重くしていく事になります。
もし龐統が死ななければ劉備はどうなっていたか?
龐統が死ななければ、益州は、劉備、龐統コンビで攻略され、
荊州には、関羽のみならず、孔明も残り、その後の、
孫権と関羽の軋轢も解消できたでしょう。
そうなると、劉備の夷陵での敗戦もなくなり、
三国志は、違った方向に動いたかも知れませんね。