馬超(ばちょう)との一騎打ちにケリを着けられなかった事に
悔しがる張飛(ちょうひ)ですが、それとは別に
孔明(こうめい)は、早速、馬超に計略を仕掛けていました。
孔明は、馬超の参謀で、その監視役でもある楊松(ようしょう)に
賄賂を渡して接触を図ります。
前回記事:95話:馬超と張飛の一騎打ち
孔明の策略に張魯が反応をする
そして、、
馬超が密かに張魯(ちょうろ)を攻め滅ぼして
漢中を支配しようとしているという偽の情報を楊松に流させたのです。
それを楊松からの手紙で知った張魯(ちょうろ)は計略に掛かります。
元々、厄介者だと思っていた馬超が漢中を狙っているというのですから、
心中は穏やかではありません。
張魯:「馬超を漢中に呼び戻せ!今すぐだ」
馬超が命令を受けて漢中に戻ると、張魯は険悪な表情をしています。
張魯:「馬超、、葭萌関の攻略にいつまで掛かっておるのだ?」
馬超:「劉備軍は、思いのほか、手強く、それで手間どっておりますが、
あと暫くの猶予があれば、必ず破る事が出来ます」
馬超は、重苦しい弁明をします。
張魯は馬超に無理な要求をする
張魯:「そうか、、では、馬超、お前に1カ月の猶予をやる、
葭萌関を落して、劉備を荊州に追いやり、ついでに、
成都まで攻め込んで劉璋を殺してこい、、
出来なかったら、貴様の首は胴から離れると思えい!」
馬超:「そんな、、、それは無茶な要求というもの、、」
張魯:「出来んというのか!!ならば、今、ここで殺すぞ」
いかに馬超とはいえ、張魯の本拠地で一人で暴れても勝ち目は
ありません。
やむなく、引き下がって、馬超は、漢中を出ますが、
馬超:「やはり、無理なものは無理だ、、張魯としっかり話して、
誤解を解こう、、」
そうして、再び、軍を漢中に返そうとしますが、すでに、関所は、
張魯の弟、張衛(ちょうえい)が軍勢を率いて守り、馬超は入れませんでした。
馬超:「何と言う事だ、、もう張魯はワシを見限っている、、」
馬超は、こうして、進む事も退く事も出来なくなってしまいます。
これを見て取った、孔明は、部下の李恢(りかい)を馬超の陣営に派遣します。
李恢を馬超軍に派遣する
李恢:「馬超将軍、何を迷っておいでです、張魯も劉璋も、あなたが
仕える程の徳を持ち合わせていません、、、
かくいう私も、昔は、劉璋の家臣でしたが、あまりにも凡庸な
劉璋に愛想が尽き、今は天下の英雄劉備様に仕えておりますぞ、、」
馬超:「あなたは、ワシに劉備に仕えよと申すのか?」
李恢:「思い出して下され、かつて、あなたの父君、馬騰(ばとう)殿は、
我が主君、劉備と共に曹操(そうそう)を暗殺しようと計画した仲間です。
逆賊曹操に幽閉されている帝をお助けし、この中国に
平和をもたらすのは、劉備様をおいてほかにはおられない、、
劉備殿に仕えて功名を立て、曹操に殺された父君の仇を討つ
これこそ、あなたのとるべき最善の道です」
馬超:「ううむ、、しかし、、ワシは劉備殿に、一度は刃を向けた
そんなワシを受け入れてくれるだろうか?」
李恢:「御心配には及びません、、実は私は、張魯に追われた
あなたを心配した孔明様の使いでここに来たのです。
劉備様は、先頃の張飛将軍の一騎打ちでの将軍の武勇に
惚れこみ、是非、配下に加えたいと申しております、、」
馬超は、暫く考えてから、剣を掴んで立ちあがりました。
一瞬、ひやっとした李恢ですが、馬超は、剣を抜かず、
馬超:「あい分かった、この馬超の身は李恢殿に預けよう、、
これから、ひと仕事する故、暫く待っていて下され、、」
馬超は、テントを出ると、ものの5分も経たない間に、
戻ってきました。
その右手は、血まみれで、張魯の配下である楊伯(ようはく)の
生首を掴んでいました。
馬超:「これで、ワシは張魯の下へは戻れぬ、
錦馬超には二心なしじゃ信用して頂けたかな?」
馬超の説得に成功し劉備に降伏
こうして、李恢は、馬超の説得に成功、馬超は劉備に降伏します。
劉備は、大変に喜んで、大歓迎してもてなしました。
成都の劉璋(りゅうしょう)は、馬超までが
劉備の配下になったと聞いて、卒倒します。
すでに、成都の周囲は、劉備軍の旗で埋め尽くされ、
蟻の這い出る隙間もありませんでした。
多くの家臣は意気消沈して沈黙するなかで、
一部の家臣だけは、成都を枕にして、最後の一人になるまで
戦い続けようと、劉璋に進言します。
しかし、すっかり戦争に嫌気がさしていた劉璋は言いました。
劉璋:「父、劉焉(りゅうえん)の時代から、20年余り、
思えば、我等親子は、蜀の人民にこれと言った仁政を施した事は無かった、、
特に、ここ3年は戦争の連続、、民はワシを恨んでおろう。
この上、さらに成都を枕にして徹底抗戦し、
多くの人民を巻き添えにしたなら、、それこそ、
ワシは、蜀の人民にとって厄病神でしかない、、
もういいではないか、、降伏し人民を救ってやろう、、」
劉璋の言葉に、家臣は全員、肩を落として泣きました。
劉璋は降伏する
こうして、劉璋は城門を開いて、自分の命と引き換えに、
成都の人民の生命を救う事を条件に降伏します。
劉備は、その心掛けを殊勝と褒め、劉璋親子の降伏を受け入れ
その命を助命して家臣としました。
ここに、孔明の天下三分の計は現実のモノになります。
時に西暦214年、53歳にして劉備は益州牧に上りました。
いやー長かった、、とうとう劉備は、曹操(そうそう)、
孫権(そんけん)に並ぶ、大きな地盤を確保するに至ったのです。