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【はじめての孫子】第4回:兵は勝つことを貴ぶ。久しきを貴ばず

この記事の所要時間: 54

逃げる劉備追う曹操

 

さてさて、始まりました『はじめての孫子』第4回。

今回は孫子第二章にあたる『作戦篇』について。

 

『速さ』が重要ってどういうこと?

どうして輸送がそこまで重視されるの?

 

孫子によれば、その二点には同じ理由があるというのですが……。

 

※今回、ちょっと寄り道が多めです。

 

前回記事:【はじめての孫子】第3回:兵とは国の大事なり

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孫子の兵法「作戦篇」の要点

三国志 武器

 

・経済的損失を招かないためにも、無駄な長期戦はさけなければいけないこと。

・長期にわたる輸送の繰り返しは国庫に負担を与え疲弊を招くこと。

・だから、戦争は一旦始めたら、できるだけ早く決着をつけなければいけない。

 

春秋戦国時代の軍隊の特徴(ちょっと寄り道)

戦車

 

春秋戦国時代と、三国時代では合戦のやり方に大きな違いがあります。

三国時代の軍隊は、歩兵と騎兵(馬に乗った兵)を中心に構成されていますが、

三国時代よりも400年以上前の春秋戦国時代では、戦車と呼ばれる兵器がその中心のなっていました。

 

戦車と言っても、キャタピラでキュラキュラと音を立てて走る、

でっかい大砲積んだ鋼鉄製の戦車のことじゃありませんよ?

 

古代中国における戦車とは、いわゆる馬車のことです。

春秋戦国時代に一般的に用いられていた戦車は左右一輪ずつを備えた二輪式の馬車で左右の車輪の間に兵士が乗る荷台が据え付けられ、

車輪につながったシャフトに二頭から四頭の馬を固定し引っ張らせていました。

 

ちょうどセグウェイを前に倒したような形でハンドル部分を馬に固定していた感じです。

 

春秋戦国時代の戦車攻撃について

青銅製の戈の穂先 wiki

(写真は青銅製の戈の穂先)

 

戦車に乗る要員は、馬を操る御者の他、車右(しゃう)と車左(しゃさ)と呼ばれる攻撃担当の兵士からなっています。

車右は近接攻撃を、車左は遠距離攻撃の担当しました。

 

車右は『戈(か)』と呼ばれる武器を使いました。

大雑把に説明すると、カギ状の刃先を持った槍のような長柄の武器です。

この戈を使い、戦車の速度を利用して正面から突き立てたり、すれ違いざまカギ状の刃をひっかけて斬るのが主な戦法だったようです。

 

車左は弓を使って遠方の敵への攻撃を担当しました。

御者と車右と車左、三者の息がぴったり合えば、戦車の攻撃力はすさまじいものになったと言われています。

 

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春秋戦国時代に戦車が必要だった理由

粟 wiki

 

歩兵に対して圧倒的に有利な戦車でしたが、秦の時代以降廃れてしまいます。

なぜ、有利な兵器が廃れてしまったのか……

 

ひとつの理由に、漢の時代以降屯田制(とんでんせい)が一般化したことが考えられます。

 

戦車は高性能で強力な兵器でしたが、その運用は難しく、素人の兵士がおいそれと扱えるものではありませんでした。

戦車を使いこなすには、徹底した訓練が必要となります。

 

しかしこの時代、農業の技術は未発達で、その生産力もかなり低いものでした。

どう頑張ってもギリギリの量の収穫しか得られなかったこの時代、農民を長期にわたる訓練に借り出し、さらには戦争に動員するなど、

国家の経済を破綻させることに直結しかねません。(この時代にはまだ鉄器が普及していなかったことも重要な要因といえます)

 

結局、戦争に駆り出せるのは時間に余裕のある貴族やその血縁者に限られていました。

そこで、少数の兵力で最大限の戦力を発揮できる戦車が重宝されたのです。

春秋戦国時代の戦争は、少数精鋭が基本だったのです。

 

 

戦車が廃れたのは屯田(とんでん)制の普及が原因?

曹操アップルパイを焼く

 

漢の時代に入ると、屯田制と呼ばれる制度が行われるようになります。

 

屯田制とは兵士に耕地を開梱させる制度のことです。

 

厳密には、当初の屯田は兵士が行うものではなく、

荒れた耕作地を軍が管理する人民に耕作させる制度でこれは民屯(みんとん)と呼ばれました。

 

三国時代、魏では曹操(そうそう)が先に民屯の制度を導入、

後に司馬懿が兵士が国境付近で兵士に耕作を行わせる屯田制を整備し、安定した食料供給を確保することに成功しました。

 

兵士が農業を兼業で行うことになるのですから、当然、戦車のような、使いこなすのが難しい兵器は扱えません。

一方で食料供給が安定すれば人口も増え、兵士の数を増やすことも可能です。

 

こうした時代背景のもと、軍の主力は少数精鋭の戦車部隊から、より多数で攻める歩兵中心へと移っていったのでしょう。

 

関連記事:曹操「なんでも上手に使えばいい!屯田制と兵戸制じゃ!」

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だいぶ寄り道してしまいましたが……

 

春秋戦国時代の戦車について長々解説したのは、『作戦篇』で扱われる話題が戦車を用いた軍隊を基本としているからです。

戦車について説明しておかないと、イメージにピンとこないかもしれません。

 

前述の通り、春秋戦国時代における戦車とは高度な兵器であり、その生産や運用にはかなりのお金がかかりました。

孫子はこのように言っています。

 

・軽戦車千台

・重戦車千台

・歩兵10万人

・千里(約400キロ)の遠征

 

以上を実行するにあたっては、人民や政府の出費に加え、外交使節の接待費や戦車の装備代(材料費、加工費)、

さらに兵士たちの身に付ける武器防具代を含めて一日千金もの出費が必要になる。

 

こんな金食い虫の遠征軍が、長期の持久戦を行ったり、城攻めなどしたら、どれだけの金が必要か想像がつくだろう。

そんなことをやったら国家経済は破綻してしまう。

 

軍をいたずらに長期にわたって動かし、結果的に経済を破綻させるようなことになってしまえば、

兵士や人民の士気は損なわれ、中立の立場を取っていた諸侯も絶好の機会とばかりにせめてくるに違いない。

こうなってしまったら、いかに神算鬼謀の軍師がいたとしても、もはや打つ手はない。

 

孫子は長期にわたって戦争を行うことの危険性、いたずらに長期化させることで起こる国力の疲弊に警鐘を鳴らし、

いかに素早く戦争を終結させることが重要かを説いているのです。

 

司馬懿が守りに徹したのは、長期遠征のデメリットを知っていたから

司馬懿 仲達

 

三国時代。

劉備(りゅうび)の没後、諸葛孔明は実に5回に渡って魏を討つための軍事行動=北伐を行いますが、

対する魏の前線指揮官であった司馬懿(しばい)は防御に徹し、積極的に攻めることはしませんでした。

 

これは、蜀が北伐を起こす度に国力を疲弊させることを司馬懿が知っていたからです。

孔明も、決していたずらに軍事行動を長期にわたって行ったわけではありません。

彼は蜀の国力の限界を知り尽くしており、蜀が幾代にもわたって魏と対抗し続けることができないことを知っていたのです。

 

その国力が維持できるうちに、魏を討たなければいけない……

孔明の戦いはそれほど悲壮なものだったわけです。

 

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食べ物がなければ敵から貰えばいいじゃない?

劉備 呂布 肉取り合い

 

孫子は、軍を動かすことは国家経済に重い負担を課すことになるから、

何度も何度も物資を前線に送るような戦い方はしてはいけないと説きます。

 

前線の食糧が乏しくなってしまったから、また補充分を輸送するとなれば、国内の民衆の食べるものがなくなってしまうし、

戦場の近隣の住人は、戦争による物資不足にかこつけて物の値段を釣り上げるだろうから、

そんなところで物資を補充しようものならますます国庫は干上がってしまいます。

 

さらに、戦車や軍馬、兵士の装備の損耗までをも国内で賄おうとすれば国庫は空、こうなったら国家経済は破綻目前です。

 

国庫からの負担を最小限にするには、一体どうしたらいいのか?

孫子は、敵から物資を奪えと教えています。

敵から奪った物資や食糧は、国内からそれらを輸送する何十倍もの価値がある。

敵から10キロの食糧を奪ったのなら、それは国内の200キロの食糧に相当する価値があるんだと、孫子は孫子は述べています。

 

だから、敵から物資を奪って自軍に利益をもたらした兵士は優遇しなければいけないとも、孫子は語っています。

 

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「作戦篇」のまとめ

 

軍事行動がどれだけ国の経済に負担を与えるか。

戦争の長期化がどれだけ国庫に損害を与えるか。

それは現代でも春秋戦国時代とまったく違いがありません。

軍事行動はできるだけ素早く切り上げ、国と民の負担を最小限にすることこそが肝要……

孫子の非好戦的な思想が、ここにもはっきりと表れているといえるでしょう。

 

次回の『はじめての孫子』は?

最弱武将

 

次回の「はじめての孫子」は「謀攻篇」。

孫子の真髄、いかにして戦わずに勝つか、その奥義とは?

 

それでは、次回もお付き合いください。再見!!

 

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この記事を書いた人:石川克世

石川克世 三国志

自己紹介:

小太郎さん(スキッパーキ オス 2歳)の下僕。

主食はスコッチウイスキーとコーヒーとセブンイレブンの野菜スティック。

朝風呂が生きがいの小原庄助的ダメ人間。ヲヤジ。

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