曹操(そうそう)は、大金持ちの曹嵩(そうすう)を父として育ち、
青年期までは何不自由ない暮らしを送っていました。
そのようなバックボーンを知っていると、その後も、優雅な暮らしをしていたように
思いますが、意外にも曹操には実は貧乏症だったのでは?という疑惑があります。
この記事の目次
桁外れの金持ちだった曹操の父、防衛大臣の位を金で買う
曹操の父の曹嵩は、宦官として大出世した曹騰(そうとう)の養子になった人です。
彼は、宦官(かんがん)の孫という息子のハンディを少しでも軽くしようと、
大尉(たいい)という防衛大臣の位を金で買い半年間だけ在職しました。
その買収金額は1億万銭、今の金額だと330億円にもなります。
こんな大金をポンと出せる金持ちの息子なのですから、少年から
青年期の曹操が何不自由ない生活を送れたのは容易に想像できます。
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お金持ちのボンボンの筈が、THREE KINGDOMで見せた貧乏症
ところが、ドラマ、THREE KINGDOMの第12話の
「呂布、小沛に留まる」で、曹操は金持ちのボンボンらしからぬ行動をしています。
徐州に劉備を攻めようとしていた曹操、そこに荀彧(じゅんいく)がやってきて
兗州(えんしゅう)に呂布(りょふ)が入ってきた事を告げます。
食事中の曹操は「何だと!」と激怒して飯椀をひっくり返しますが、
冷静になると、こぼれた飯粒をしっかり拾い、また食べているのです。
これは、どうした事でしょう、金持ちのボンボンだった曹操に何が起きたのでしょうか?
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曹瞞伝にも出てくる曹操の貧乏症
曹操の貧乏症を思わせる部分は、曹瞞(そうまん)伝という書物にも出てきます。
その中での曹操は、笑い上戸の小さいおっさんであり、音楽を愛好し、
ヒマさえあれば詩を書きつけ、一秒もじっとしていない人だったようですが、
その中に、曹操は腰に大小の袋を下げて、色々の小物を入れていた
というような記述が出てきます。
この複数の袋を持つというのは往年の刑事ドラマ、刑事コロンボの主人公の
コロンボ警部も同じですが、何か役に立ちそうな物を中々捨てられず、
手元に置いておきたいという貧乏症の性格に由来しています。
コロンボ警部は、殺人現場で得た証拠品やメモや小物を所構わずに、
トレンチコートのポケットに放り込んでしまいます。
後で、それをどこへやったか?と探すのがドラマの味になっていますが、
それは兎も角、曹操も、そのような色々なものを捨てずに持っておくという
貧乏症の癖があったように見受けられるのです。
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曹操を貧乏症にした兗州の貧しさ
曹操が、貧乏症になってしまったのは、初めて領有した兗州の貧しさと
無縁ではありません。
元々は中央に近い、豊かな地域だった兗州ですが、後漢の度重なる戦乱を
直撃で受けて、田畑は荒れ果て人口は流出していました。
そこを手に入れた曹操は、ほとんど慢性的に兵糧不足に苦しみ、
徐州戦のように一方的に勝っていても兵糧が不足して退却するという事や、
呂布との戦いでも記録的な蝗(いなご)の害に襲われ兵糧不足から
停戦するという事も度々発生していました。
また、兵糧不足から、兵士の不満が高まると食糧係に罪を着せて、
処刑するなど喰い物に関係する逸話が多いのも特徴です。
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食糧不足から来る飢えの恐怖が曹操を貧乏症にした
袁紹(えんしょう)との官渡の戦いだって一番の敵は兵糧の不足だった程です。
食糧が枯渇した曹操は、もっぱら袁紹軍の補給隊を襲い食糧を繋ぐような始末でした。
袁紹から投降した許攸(きょゆう)が曹操軍の兵糧の量を聞いた所
曹操は当初虚勢を張り「1年間は持つ」と言いましたが、
許攸に嘘を見抜かれたので、「ここ1カ月も危ない」と白状しています。
このような状態は、屯田制が軌道に乗るようになると大きく改善しますが、
飢えの恐怖を心に刻みつけた曹操は、こぼした飯さえ拾って食べるという
元ボンボンらしからぬ貧乏症の性格になってしまったのです。
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三国志ライターkawausoの独り言
貧乏症はいわゆるケチとは違います、ケチは自他共に金銭をケチる人ですが、
曹操は、必要な時には、大金を散じているからです。
ただ、自分個人に関する事に関しては、生涯貧乏症が抜けなかったようです。
曹操は遺言で葬儀は軽くして、宝飾品は墓に入れるなと言いますが、
おそらく普段から、不必要なぜいたく品は手元に置かなかったのでしょう。
今日も三国志の話題をご馳走様でした。