関羽(かんう)は、その生涯で二年ばかり劉備の宿敵であった曹操の客将として
曹操(そうそう)軍に在籍していた過去があります。
この逸話は、後の赤壁の戦いで敗れた曹操を関羽が昔の恩義で見逃すという
伏線になっている印象深い逸話なのですが、、
実は、曹操の元を旅立った関羽は常識ではあり得ないような
遠回りをしていた事が地図から分かったのです。
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この記事の目次
関羽、主君劉備(りゅうび)の消息を掴み、曹操の元を去る
手柄を立てた関羽ですが、戦乱で生き別れになっていた劉備が
袁紹の客将となっている情報を知り、曹操に暇乞いをして立ち去ろうとします。
関羽を手放すのが惜しい曹操は、避客牌(ひきゃくはい)という
面会謝絶の看板を下げて居留守を使い関羽の出発を遅らせようという
セコイ方法を使いますがいつまでも通用する訳は無く、
関羽は曹操から貰った贈物を封も開けずに
返却して、劉備の夫人と共に、許昌を立ち去ります。
曹操の部下達は関羽を追いましょうと曹操に言いますが、
曹操は「行かせてやれ」と未練を振り切りました。
さっきまで居留守使っていた人とは思えない潔い態度です・・
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カッコ良く曹操の下を去った関羽の迷走が始まる・・
関羽は、どういう訳か、最初に洛陽を目指して赤兎馬(せきとば)を走らせます。
ちょっと待って、劉備は袁紹の客将になっていた筈なのにどうして西へ?
そんな疑問もお構いなしに、関羽は東嶺関に向かい通行手形で揉めた
孔秀(こうしゅう)を斬殺して突破します。
次に関羽は洛陽に到着、ここでも通行手形で揉めて韓福(かんぷく)を斬殺します。
ここまでで、手形の不備から二名の魏将を斬りました。
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関羽、いきなり方向転換、沂水関(きすいかん)へ
さて、そのまま、長安まで行きそうに見えた関羽は、ここで、
どうやらこのまま進んでも劉備には会えないと悟ったらしく(今頃!!)
いきなり進路を東に大きくUターンさせます。
向かった先は、山東省にある沂水関であり関羽はここで
自分を騙し討ちしようとした魏将の卞喜(べんき)を斬殺します。
しかし、洛陽から、この沂水関までは直線距離で636キロあります。
このUターンだけで、もう千里(414キロ)を越えているのです。
それに、東に迂回するんだったら、孔秀と韓福を殺した理由は一体・・
まだまだ、とまらない関羽の迷走
卞喜を斬殺した関羽ですが、ここで自分が行き過ぎた事に気がつきます。
そして、再びUターンを決行して、544キロ離れた滎陽(けいよう)に到着します。
一度、曹操の勢力下を離脱して、再び曹操の勢力下に戻ったのです。
さあ、魏の関所を守る武将達には戦慄が走ります。
もはや、関羽がやってきた場所の守備将は斬殺される運命です。
しかも、方向音痴の関羽の為に無駄死にする事になります。
ここで、関羽は滎陽関を守る王稙(おうしょく)の追撃に反撃を加え王稙を斬殺します。
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