【架空戦記】帝政ローマ軍と三国志軍が戦ったらどっちが勝つの?軍隊の編成や武器なども徹底解説

帝政ローマ軍にも、バリスタ(弩砲)という自動発射式の弩があったが・・

Ballista wiki

 

一方で帝政ローマには弩は無かったのか?というとそうではありません。

ローマには、バリスタという大型の弩がありました。

 

バリスタは据え付け式の弩で、動物の腱や髪の毛などを使用した綱に

捩じりを加えて、その復元力で矢や石の砲弾を遠くに飛ばすという方式です。

こちらは、中国の携帯式の弩とは比較にならない威力を持ちましたが、

前述した通り、威力が強い代わりに、おいそれと運ぶという事が出来ない重量です。

 

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職業軍人である帝政ローマ、対、徴発された農民兵の三国志軍

帝政ローマ軍 wiki

 

大体、似たような編成である帝政ローマ軍と三国志軍ですが、帝政ローマ軍が、

市民を召集して造られたプロの職業軍人であるのに対して、三国志軍は、

徴発された農民の集団が歩兵という素人の集団であるという違いはあります。

 

この事から、三国志軍は、優勢の時には使えるが劣勢になるとたちまち、

脱走者が続出するとも考えられ、逆に職業軍人であるローマ兵は、

逆境に至っても、辛抱して持ち堪えるという考え方も出来ます。

ですが、例えば曹操(そうそう)が起した魏は、安定した税収と常備軍を得る必要から、

通常は農業に従事しつつ、戦闘では兵士になる屯田兵を採用しています。

この場合、素人の農民兵対職業軍人という図式は成り立たなくなるでしょう。

 

関連記事:曹操「なんでも上手に使えばいい!屯田制と兵戸制じゃ!」

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三国志軍対帝政ローマ軍が激突したら・・

ローマ軍

 

では、上記の予備知識を置いた上で、帝政ローマ軍と三国志軍を激突させます。

場所は五丈原のような平地で、兵力は双方とも40000人という事にします。

つまり、帝政ローマは、4レギオーで、三国志軍は12軍程度という事です。

 

双方、見慣れない軍旗と、軍装に驚いていますが、どうやら戦うしかないと

判断して突撃を開始したようです。

 

三国志軍からは、太鼓が鳴らされ、一方のローマ軍からはラッパが吹かれました。

ローマ軍は、ケントゥリアが突出して走り出します。

 

ここで、三国志軍からは、連弩隊が登場して一斉に矢を発射しました。

全力で突進してきたケントゥリオ―(百人隊長)が弩の餌食になり倒れます。

 

 

それに対して、ローマ軍はTestudo(亀甲隊形)を採用して大きな盾で身を守り

弩兵の攻撃をしのいでいます。

 

ローマ兵の盾はスクトゥムと呼ばれる大きなもので、時代により長方形の時や

円形の時がありますが、ここでは長方形とします。

 

三国志軍の弩兵の矢が尽きました、それを見て取ったローマ軍の司令部は、

突撃の命令をラッパで伝えます。

 

800px-Testudo_formation wiki

 

ケントゥリアは、亀甲隊形を解いて、後続のケントゥリアと合流して、

コホルスを造り、スクエアの陣形を取り、三国志の軍勢に突撃します。

 

それに対して、三国志軍も密集陣形を取り、3mの長さがある戟(げき)を揃えて

ローマ軍の突撃に備えます。

 

戟は、突き刺す為の垂直な刃と首を切り落とす為に横にも刃が出ている兵器で、

三国志の時代の歩兵の標準装備品です。

 

突進するかと思われたローマ軍の意外な行動に三国志軍大混乱?

pilum

(写真出典元:caerleon.net)

 

ところが、残り100メートルという所で帝政ローマ軍は意外な行動に出ました。

手に持っていたピルムという2m程度の槍を、三国志軍に向かって次々と投げ始めたのです。

意外な攻撃に、ピルムに就き刺されて絶命する三国兵が続出します。

 

Bent_pilum_tip-transparent wiki

 

おまけにこのピルムは先端が柔らかく、突き刺さると折れ曲がり

敵に再利用できないように工夫されている性質が悪い武器です。

 

1024px-Pilensalve wiki

 

ピルムを投げたローマ兵は、スクエアの陣のまま腰のグラディウスという

片手剣を抜き放ちEst gloria in Rome!!(ローマに栄光あれ!)」

絶叫しながら、三国志軍に突撃します。

 

一方の三国志軍も負けてはいません、柄の長い戟を奮ってローマ兵を寄せつけない

ようにしながら、皇帝萬!!萬々歳!」を叫んで押しかえします。

 

三国志軍、ここで虎の子の騎兵を投入

騎馬兵 騎馬軍団

三国志軍の司令部は、戦線が拮抗した、このタイミングを狙い、騎兵の投入を決断しました。
40000人の兵力の25%が騎兵という事は1万騎が突撃を開始するという事です。
それを見た、ローマ軍も補助兵力という扱いのアウクリシア5500名を投入します。

三国志軍の騎兵は呂布同様に戟を構えて、背中には矢を背負い、盾は装備していません。
一方のローマ軍の騎兵は、こちらもピルムを構えつつ、丸盾を装備しています。
ローマの騎兵も異民族の騎兵が多く、性格は勇猛果敢にして残忍です。

激突と同時に、ローマ騎兵のピルムに体を貫かれる三国志軍の騎兵が続出します。
しかし、ピルムを投げたローマ騎兵は後は剣しか持っていません。
逆に、三国志軍の騎兵は、背中に矢を背負っています。

三国志軍の騎兵は、直接激突を避け、距離を置いてから、ローマ騎兵を矢で
狙い討ちしはじめました。
五丈原のような平原では、矢を放ちながら、逃げ回る騎兵をとらえるのは
簡単ではありません。

ローマ軍のアウクリシアをあらかた殲滅した三国志軍の騎兵は、次に、
膠着状態だった、前線に突入します。

さすがの粘り強いローマ兵でも、味方騎兵の援護なしに敵騎兵の突撃を
防ぎきれるものではありません。
雨のように降り注ぐ矢に倒れ、突撃してきた騎兵の蹄にうち砕かれ、
頑強なスクエアの陣形も崩壊してしまいました。

 

三国志軍、帝政ローマ軍の殲滅を狙うが・・

秦 王騎

 

こうなると一方的な殺戮戦になります、不利を悟ったローマ軍の司令部は、
精強なケントゥリアを前線に踏みとどまらせつつ、全軍の撤退を命じます。
勢いづいた三国志軍は、密集陣形を取りながら、ローマ兵を蹴散らして、
軍団の全滅を図りますが、そこに、バリスタの総攻撃が襲いかかります。

500機のバリスタは、突進してくる三国志軍の騎兵に休む事なく
猛射撃を浴びせ、倒れた騎兵は千騎を超えました。

三国志軍の司令部は、予想外の被害に追撃を断念、、
銅鑼を鳴らして退却の命令を出します。

 

帝政ローマと三国志軍の損害

photo credit: Bukit Lawang – Darkness Falls via photopin (license)

 

帝政ローマ軍・・・・戦死 歩兵3500名 騎兵3000名
負傷 10000人以上

三国志軍  ・・・・戦死 歩兵6000名 騎兵1300名
負傷  15000名以上

戦闘結果・・・引き分け

 

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三国志ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

いかがだったでしょうか?

kawausoの頭の中で行われた。
帝政ローマ軍VS三国志軍の激突、もちろん実際には、兵力が同数という
事も希なら、指揮官や兵の質で戦争結果は変化するでしょうが、
まるで異種格闘技戦のような東西超大国の時空を超えた戦い、
楽しんでいただけたでしょうか?

本日も三国志の話題をご馳走様でした。

 

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この記事を書いた人:kawauso

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■自己紹介:

どうも、kawausoでーす、好きな食べ物はサーモンです。
歴史ライターとして、仕事をし紙の本を出して大当たりし印税で食べるのが夢です。
もちろん、食べるのはサーモンです。

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