三国志演義の前半、横暴の限りを尽くしていたのが董卓(とうたく)です。
その振る舞いを快く思わない者も多く董卓の暗殺を試みる者も居たのですが・・・あえなく返り討ち。
少しでも楯突く者は容赦なく惨殺していく董卓の恐怖政治に、皆恐れ戦き何も出来ないでいました。
そんな中、曹操(そうそう)が董卓暗殺を買って出ます。
伝家の宝刀・七星剣
今まで董卓の暴虐の元にも黙って仕えていたのは、信頼を得て傍に近寄る事が可能な立場になる為。
同じく董卓に黙って仕えながらも快く思っていなかった王允(おういん)は曹操のその志に感心し、
代々家に伝わる宝刀・七星剣(しちせいけん)を曹操に渡します。これで討て、と。
その七星剣を忍ばせ董卓の寝所に向った曹操でしたが、後もう一歩の所で宝刀・七星剣の煌きが董卓の傍らにあった鏡にキラリと反射し、気づかれてしまいます。
とっさの事に曹操は宝刀・七星剣を董卓に献上し、董卓も宝刀・七星剣を見てホクホク。
その場を取り繕った曹操の言葉を信用してしまいます。
三国志ファンならご存知の名場面。
一瞬の登場でも印象に残る宝刀・七星剣ですね。
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七星の持つ意味
七星剣、と言うからにはもちろん、刀の部分に七つの星が刻み込まれています。
この七星剣の七星とは、北斗七星の事。
七星剣自体は中国の道教思想に基づき、北斗七星が意匠された刀剣の呼称とされています。
道教において北斗七星は北斗信仰として特別な意味合いを持っていました。
ちなみに北斗七星の七つの星は、柄杓の先の方からそれぞれ
貧狼星(トンロウセイ)
巨門星(キョモンセイ)
禄存星(ロクソンセイ)
文曲星(モンコクセイ)
廉貞星(レンジョウセイ)
武曲星(ムコクセイ)
破軍星(ハグンセイ)
と名づけられています。
南斗は生を司る神で、北斗は死を司る神 とされていました。
この北斗七星が意匠された七星剣ですが、古代中国において国家鎮護・破邪滅敵の力が宿るとされていて、主に儀式などにも用いられた剣と言われています。
また、刻み込まれた北斗七星は宇宙の中心である北極星(天帝)を守ることを表していたようです。
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中国での七星剣の登場
この七星剣は中国では古くから御馴染みで、有名な『呉越春秋』には、伍子胥が楚王から授かった百金の価値がある剣としての記述があります。
古代中国での七星剣は宝刀として扱われていた剣だったのですね。
その他の中国文学作品にも七星剣は登場し、
西遊記でも金角と銀角が太上老君(道教の始祖とされる老子が神格化したもの)から盗み出した宝の一つとして書かれています。
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実は日本にもある七星剣
実は日本でも同じように道教思想に基づき作られた、日本の直刀の七星剣が幾つか存在しています。
古代日本において文化や思想は中国から流れてくるものでしたから、もちろん日本文化に深く影響を与えています。
七星剣の存在は当然といえば当然かもしれません。
(写真は四天王寺蔵)
有名な所では四天王寺や法隆寺、正倉院、稲荷山遺跡など、国宝級の物があります。
教科書などで見たことがある人は多いのではないでしょうか?
三国志ライターAkiの独り言
三国志演義の名場面でもある七星剣での暗殺未遂事件ですが、実はこのシーン、史実にはない演義での創作です。
七星剣が国家鎮護と破邪滅敵の力があるとし、刻まれた北斗七星が北極星(天帝)を守ることを意味していた事から考えると・・・董卓暗殺になんてピッタリな剣でしょう!
王允が曹操に渡すのは他の剣でも良かったのでしょうが、
敢えてこのシーンに七星剣を用いた理由にそんな背景があるのなら、なかなか良い演出だと思います。
小道具として絶妙なセレクトですね。
もちろんそんな深い意味は無く、ただ王允のお家がそれほどの宝刀を持ってるお金持ちだったと表現したかっただけ、と考えることも出来ますが・・・。
ちなみにこの北斗信仰が根付いていた古代中国では、死を司る北斗の神に縋って寿命を延ばしたという逸話が多くあるそうです。
あれ?同じようなシーンが三国志にもあったなような・・。
北斗信仰の事を頭の片隅に置いておくと、もっと三国志が楽しくなるかもしれませんね♪