陳寿が語る孫権像




kataru

 

魏の曹操、蜀の劉備と比べると、どうにも地味な感じがする

呉の孫権ですが、

『正史三国志』の著者、陳寿は孫権のことを以下のように

評しています。




万事につけて抜きんでる

孫堅

 

「孫氏兄弟をみると、各々才が秀でていて、聡明であるものの、

みんな天命をまっとうできずに短命だった。

ただ、中の弟の孝廉(こうれん)は万事につけて抜きんでていて、

すべてをまっとうする相があった。

年も最も長寿であった」

 

孫氏兄弟というのは、孫堅の息子たち

孫策・孫権・孫翊(そんよく)三兄弟のことです。

つまり中の弟孝廉とは、孫権のことです。

 

歴史家陳寿は、孫権を、万事につけて抜きんでると、

かなり高く評価しています。




勾践のような英知がある

赤壁の戦い

 

「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」という四字熟語をご存知でしょうか。

これは、三国時代よりさらにさかのぼること700年ほど前の

春秋時代にあった出来事から作られた言葉です。

 

当時、呉(ご)と越(えつ)という国が激しく諍いをしていました。

「呉越同舟(ごえつどうしゅう)」という故事もあります。

これは、仲の悪い者同士でも利害が一致すれば助け合う、

という四字熟語ですが、「呉と越が仲が悪い」という上で成り立つ故事です。

 

さて。臥薪嘗胆に話を戻しますと……

越王勾践(こうせん)は、戦いの末、呉王闔閭(こうりょ)を殺します。

闔閭の息子の夫差(ふさ)は、勾践への復讐を誓い、

固い薪の上に寝て、自らを戒め、数年後に越国へ攻め入ります。

これが「臥薪」です。

さて、越王勾践は、呉王夫差に次の戦で大敗し、越国は滅亡寸前になります。

今度は、勾践がこの悔しさを忘れないようにするために、

苦い肝をつるして毎日それを舐め、呉王夫差への復讐を誓います。

これが「嘗胆」です。

越王勾践は、次の戦で見事夫差を打ち負かし、復讐を遂げるという話です。

 

陳寿は、この勾践に孫権をなぞらえたのです。

孫権が、勾践のような戦略家であるという評です。

 

余談ですが、

越王勾践には、范蠡(はんれい)という優秀なブレーンがいました。

この范蠡は、絶世の美女西施(せいし)を見出し、

呉王夫差に送り付けて兵法美人の計を成し遂げた人でもあります。

 

孫権にも、張昭、周瑜、魯粛、呂蒙、諸葛瑾、陸遜など

優秀な部下がそろっていました。

このあたりも、勾践になぞらえたゆえんかもしれません。

 

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この記事を書いた人:東方明珠

キリン(東方明珠氏)はじめての三国志

こんにちは。とうほう めいしゅです。

中国は上海の雰囲気が好きなので、テレビ塔の「トンファンミンジュ」を名乗っています。

もともと『水滸伝』の大ファンで、『三国志』に興味を持ったのは、アーケードゲーム「三国志大戦」がきっかけです。

当時はゲームセンターに通いつめました!

まだまだ中国史について勉強中ですが、精いっぱい面白いことを探してお伝えしたいと思っています。

どうぞよろしくお願いいたします。

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