曹叡(そうえい)とはどんな人?曹丕の息子で二代目魏の皇帝


西の蜀軍に対しても的確な指令を出す。

 

曹叡は洛陽を発つ前、蜀軍の迎撃に出た司馬懿に手紙を送ります。曹叡は司馬懿に「君は砦を築き、持久戦の構えを取るように。そうすれば蜀軍は食料が無くなり、撤退するであろう。蜀軍が撤退に移ったらすかさず追撃をかけるように。」と指令を出します。司馬懿は曹叡の命令を守り、砦を築き、蜀軍が挑発してもけっして出撃しないで、守りを固めます。その後孔明が亡くなり、蜀軍は退却を開始。この時司馬懿は蜀軍に猛追撃をかけますが、蜀軍に反撃され、追撃を中断します。しかし曹叡の指令をしっかりと守った事で蜀軍を追い払います。


土木工事を行い民に潤いを与える

 

曹叡は孔明の北伐が始まる前から、宮殿の増築や造園などの土木工事を行います。彼は土木工事を大々的に行い、民に給料を払う事によって、民衆が潤い、物の動きが良くなり、経済が安定すると考え、家臣の反対を押し切り、土木工事の政策を推し進めていきます。この政策は民を潤す事に成功します。しかし魏の国庫が傾き、財政が悪化してしまいます。


経済を立て直す前に…

孟達 司馬懿

 

曹叡は土木工事を推し進め、財政が傾いてしまいます。彼は財政を立て直す政策を出す前に、亡くなってしまいます。曹叡は次の皇帝を指名し、司馬懿らに後を託して亡くなります。彼が推し進めた政策で傾いた魏の経済は建て直す事が出来ず、家臣は魏の王朝に絶望し、魏は司馬一族に乗っ取られる事になるのです。

 

三国志ライター黒田廉の独り言

黒田廉

 

曹叡は優れた面と優れていない面、両方を持った君主でありました。正史「三国志」を書いた陳寿は「決断力と見識に優れており、君主に取っては真に優れた気概である。しかし秦の始皇帝や漢の武帝と同じように宮殿や庭園を造営し、将来への配慮が足りなかった点が彼の大きな失敗であった。」と曹叡を評価しています。曹操や曹丕も欠点がありましたが、優れている人には何かしらの欠点が生まれてしまうのですね。

 

 

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