劉備(りゅうび)は劉璋(りゅうしょう)から「漢中にいる張魯(ちょうろ)を討伐してほしい」と要請を受け
龐統(ほうとう)を軍師にして益州に入ります。
劉備は劉璋を追い出し、益州を乗っ取るため蜀の要衝である涪城を陥落させます。
龐統はその夜開かれた宴会で、劉備に対して
「人の国を伐ちて、以て歓を為すは、仁者の兵にあらざるなり」と忠告します。
龐統はなぜこの名言を用いて劉備に忠告したのでしょうか。
益州攻略を背景に分かりやすく解説したいと思います。
この記事の目次
益州とはどんな所
益州は周りを山に囲まれ、攻める事が難しく、守りに強い土地です。
群雄が割拠していた時代は、どの群雄も益州へ目を向ける余裕がありませんでした。
そのため益州の土地は肥沃で、人は多く豊かな地域でした。
益州の主である劉璋は天然の要害に守られながら、長らくこの土地を有しておりました。
益州の問題
そんな平和な益州ですが、一つだけ問題がありました。
それは漢中に根付いている五斗米道の存在です。
劉璋は最初この宗教集団を放置しておりました。
しかし五斗米道は益州の民へ影響を与え、益州の民が漢中へ流れて行きます。
劉璋はこの状況を知ると、五斗米道討伐を決意。
張魯は弟張衛に軍を預け、漢中防衛を命じます。
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漢中討伐は失敗に終わる
劉璋は漢中へ大軍を差し向けますが、張衛の軍勢による奇襲と
周りを山に囲まれた天然の要害に阻まれ敗北します。
その後も張魯を討伐するため攻撃を仕掛けますが、ことごとく失敗。
劉璋は独力では張魯討伐が出来ないと分かり、
援軍を快く受けてくれそうな群雄を探します。
劉備に白羽の矢が立つ
劉璋は同じ劉の姓を持つ劉備に目を付けます。
彼は劉備と仲良くする為、劉備の元へ張松を送ります。
張松は大量の贈り物をもって劉備と会見。
劉備は張松を賓客(ひんきゃく)の礼で大いに彼をもてなします。
張松は劉備から歓待を受けると大いに喜び益州の地理や状況など詳しい話をします。
張松の謀略
張松は劉備が手厚く自らを歓待してくれた事に感動します。
そして彼は劉備にとんでもない提案をします。
張松「わが主劉璋では、この先益州を保つことは
難しいと考えます。そこで劉備殿に益州を取ってほしいと考えるのですが、
いかがでしょう。」
劉備はいきなり張松がとんでもない事を提案してきたため、すぐに返答できない
と伝えます。
すると張松は「今すぐ返答できないのは当然です。
私の代わりに法正(ほうせい)という者が来ますので、その時返事をいただきたいと思います。」
と伝え劉備の元をあとにします。
龐統の説得
龐統は劉備と張松の会見が終わった数日後、すぐに進言を行います。
彼は劉備に「無理な手段で益州を奪ったとしても、統治を正しく行い、
信義をもって政治を実施すれば民衆から歓迎されるでしょう。
また劉璋には天下統一を果たした後、大国を与えればいいと思います。」と
提案。
劉備は龐統の進言を聞く前に、孔明に相談します。
すると孔明も龐統と同じことをアドバイスした為、彼は益州攻略の決意を固めます。
益州からの使者法正が現れる
張松が荊州に来てから数ヶ月後、法正が劉備の元にやってきます。
劉備は法正が来ると「張松殿の提案に乗って益州攻略を行うつもりだ」と
答えます。
すると法正は喜び、益州の城や道などが記載されている地図を渡します。
こうして劉備は龐統を軍師にし、益州攻略へ向かいます。
龐統の献策その1:劉璋を暗殺するべし
劉備は益州に入ると、劉璋から手厚いもてなしを受けます。
その宴は100日以上も続く盛大なものでした。
龐統は劉璋が油断しきっているこの状況を利用するべく劉備に進言します。
「殿。今劉璋は油断しきっています。ここで彼を暗殺すれば、
簡単に益州が手に入ります。どうかご決断を」と暗殺計画を献策。
すると劉備は「益州に来たばっかりで、暗殺するのはいかんだろう」と
龐統の進言を退けます。
彼は「そうですか」と一言漏らしその場を去ります。
龐統の献策その2:三つの策
劉備は百日にも及ぶ宴会が終わると、益州に駐屯し、益州攻略について
諸将と会議を始めます。
劉璋は劉備が張魯討伐へ向かわない事に不信感を抱き始めます。
そんな中呉の孫権から救援依頼がやってきます。
龐統は呉の救援依頼を利用し軍団を動かすよう劉備に提案します。
劉備は彼の提案を受け入れ、劉璋に「呉を助けるため、国に帰らなくてはなりません。
そこであなたに兵と物資を借りたいがよろしいでしょうか」と伝えます。
劉璋は劉備が何もしないで帰国する事に激怒し、ほんの少しの物資と兵を与えます。
劉備は自分の要求を満たさない事に怒り、益州攻撃を決意し、龐統に相談します。
龐統は劉備に「昼夜兼行で一気に成都を攻略する上策。
白水関を守る二将をだまして兵を吸収して成都を目指す中策。
最後は白帝城まで一旦退き、そこで荊州の援軍を要請した後、益州攻略を行う下策。
いずれの策をとりますか」と提案します。
劉備は龐統が示した中策を採用。
こうして劉備の益州攻略戦が始まります。
白水関を奪う
劉備は白水関を守る二将軍に、荊州へ帰る事を伝えるため、挨拶に赴きます。
二将軍は劉備が荊州に帰る事を知っていたため、すっかりと油断しきっていました。
劉備が挨拶に来ると、彼らはにこやかに挨拶を交わします。
劉備は挨拶が終わると合図を送り、二将軍を捕えた後、殺害し、
白水関の兵力を手に入れた劉備軍は益州へ進撃を開始します。
益州の要衝涪城を攻略
劉備軍は白水関で兵を手に入れた後、益州各地の城を攻略していきます。
戦を経験した事の無い益州の兵達が籠る城を各地で陥落させ、連戦連勝を
重ねて行きます。
その後益州の要衝である涪城を攻略します。
劉備は涪城があっさりと陥落したことに気を良くして、その夜、
景気づけに大宴会を開始します。
龐統の名言「人の国を伐ちて、以て歓を為すは、仁者の兵にあらざるなり」
龐統も劉備に呼ばれ大宴会に呼ばれ席に着きます。
劉備は宴会の席で浮かれ、諸将と共にどんちゃん騒ぎを繰り広げます。
龐統は劉備のこの浮かれ姿を見て「殿。人の国を伐ちて(ひとのくにをうちて)、
以て歓を為すは(もってかんをなすは)、仁者の兵にあらざるなり
(じんしゃのへいにあらざるなり)」と忠告します。
劉備は龐統の忠告を聞くと怒り「出ていけ!」と大声で言います
龐統はすぐに宴会の席を出て行きます。
「人の国を伐ちて、以て歓を為すは、仁者の兵にあらざるなり」ってどういう意味
さて劉備が激怒した「人の国を伐ちて、以て歓を為すは、仁者の兵にあらざるなり」
とはどのような意味なのでしょうか。
この言葉の意味は他国を攻めて、浮かれているのは仁者の戦ではないという意味です。
龐統は益州攻略が終わっていないのに、大宴会を開いて浮かれているべきではない
と忠告します。
劉備は龐統に怒られて冷静になり、すぐに席に戻るように伝えます。
龐統は何事もなかったように席に着きます。
劉備は龐統が戻ってくると「先程は私とあなたどっちが悪かったのであろう」
と尋ねます。
すると龐統は「君臣共に悪かったのであります。」と言うと、劉備は大笑いし、
それにつられて諸将も大笑いします。
こうして宴会は夜遅くまで盛り上がっていきます。
三国志ライター黒田廉の独り言
龐統は鳳雛(鳳凰のひな)と呼ばれた逸材で、
孔明は閃きで優れた案を出す天才型の軍師ですが、
彼は熟慮を重ねた後、的確なアドバイスをする熟慮型の軍師です。
三国志を書いた陳寿も彼を高く評価し「人物評価を好み、経済学と策謀に優れた
人物である」としています。
こうした高い評価を受けていた軍師龐統ですが
「人の国を伐ちて、以て歓を為すは、仁者の兵にあらざるなり」と名言を残した
次の戦いである雒城(らくじょう)の戦いで流れ矢に当たって命を落とします。
劉備は龐統が亡くなった時、涙を流して悲しんだそうです。
「今回の三国志のお話はこれでおしまいにゃ。
次回もまたはじめての三国志でお会いしましょう。
それじゃまたにゃ~。」
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